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セイウンスカイ(ウマ娘)の編集履歴

2021-01-20 11:20:35 バージョン

セイウンスカイ(ウマ娘)

せいうんすかい

ウマ娘 プリティーダービーに登場するウマ娘の一人。

概要

プロフィール

誕生日4月26日
身長155cm
体重申告漏れ
スリーサイズB77・W55・H80
CV:鬼頭明里

気の向くままに毎日を過ごしている、マイペースなウマ娘。

気まぐれで練習をさぼることも多いが、いざレースになると、驚異的な逃げ足を発揮してペースを支配することが多い。

じつはとんでもない策士なのでは、といううわさも……?

公式ポータルサイトumamusume.jpより


アニメ

しっぽの向くまま、気の向くままに毎日を過ごす芦毛のマイペースウマ娘。

クラスはジュニアクラス最年長・三冠レース出走権のあるC組。スペシャルウィークエルコンドルパサーグラスワンダーらとはクラスメイト。

青空に浮かぶ雲のように自由な性格で、練習もサボりがちだが、いざやる気になると驚異的な実力を発揮する。

レースにおいても、派手な逃げでみんなを翻弄してペースを支配する根っからのトリックスター。実はとんでもない策士という噂も。

しかし一方、ゲートは大嫌いで時折他のウマ娘やトゥインクルシリーズの主催を困らせている。

アニメ公式サイトanime-umamusume.jpより


競走馬セイウンスカイ

1995年生まれでスペシャルウィークエルコンドルパサーグラスワンダーキングヘイローと同じ世代。


当時、西山牧場は経営規模縮小が進められており、父・シェリフズスターは種牡馬として目立った産駒を残せず、血統も良くなかったため廃用の憂き目に遭った。

産駒も売却されたが、調教師からの入厩予約で売り残した内にセイウンスカイがいた。しかし育成段階で傑出した所は無く、予約した調教師が受け取りに現れずセイウンスカイの行く末は不透明となった。


その後、引退する父親と入れ違いに厩舎を開業するため急遽入厩馬が必要となった保田一隆調教師が西山牧場を訪れ、セイウンスカイを引き取ることとなった。

引き取られた当初はバランスが悪く見栄えしなかったが、成長するにつれ見違えるほど優れた馬体となっていった。


1998年のクラシックレース戦線ではスペシャルウィーク、キングヘイローと3強を形成。横山典弘とのコンビ(弥生賞までの3レースは徳吉孝士が騎乗)で皐月賞菊花賞の二冠を制した。中でも菊花賞では38年ぶりの逃げ切り勝ちでレコードを更新。

1998年11月8日 京都競馬場

実況:杉本清関西テレビ


しかし、有馬記念ではグラスワンダーに敗れている。更にJRA賞の記者投票ではエルコンドルパサーに敗れ最優秀4歳牡馬のタイトルを奪われた。



1999年初戦の日経賞は5馬身差で圧勝する(2着は異母弟セイウンエリア)。天皇賞(春)はスペシャルウィークの3着。札幌記念で逃げから差しに転換しファレノプシス等を抑えて1着。


 
センシティブな作品 
ゲート入りを嫌がるセイウンスカイ:第120回天皇賞(1999年秋)にて、目隠しをして係員に促されてゲート入りするまで、およそ7分かかっている。

天皇賞(秋)は1番人気に推され、中団からレースを進めるが5着に終わる。

レース後、屈腱炎を発症し、長期の療養に入る。


2001年、既に同期のライバルであったスペシャルウィークもキングヘイローも引退していた中、天皇賞(春)で復帰する。往年のような逃げを打ったものの、早くも失速し、勝ったテイエムオペラオーから大きく離されての最下位に終わった。

このレースで屈腱炎が再発し、引退、種牡馬入りした。


引退時期を誤ったことや、地味な血統故に繫殖牝馬が集まらず、同期のライバルがGⅠ馬を次々輩出した一方で大苦戦し、重賞勝ち馬は出せずに終わった。

しかし、ニシノフラワーとの間に生まれたニシノミライ(2003年産)の血統からニシノヒナギクを経て2016年ニシノデイジー(曾孫)が誕生。2歳時にGⅢ競走を2勝し、クラシック戦線に名乗りを上げた。


2011年、死亡。享年16歳。


関連タグ

スペシャルウィーク(ウマ娘)キングヘイロー(ウマ娘) 同世代のウマ娘で、1998年のクラシック競走ではこの3頭が「3強」と呼ばれた。


ニシノフラワー(ウマ娘) 西山牧場つながり


横山典弘 主戦騎手

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