概要
プロフィール
誕生日 | 2月18日 |
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身長 | 152cm |
体重 | 増減なし |
スリーサイズ | B78・W53・H84 |
CV:前田玲奈
アメリカ生まれの帰国子女。しかし流暢な日本語と温和な物腰で、中身は完璧な大和撫子。
何事にも落ち着きはらった態度でいて、ほんわかとした独特のペースで話す。
99年、宝塚記念。
標的はただ一人、同期のダービーウマ娘だった。
今行くか。いや、まだか。いや、今か。
一瞬の判断で未来を変えた、未知なる栗毛。そのウマ娘の名は…
ソロ曲
この先はどんな色に満ちるでしょう?
『 Secret GRADUATION 』
作詞:真崎エリカ 作曲・編曲:渡邉俊彦 歌:前田玲奈
アニメ
アメリカ生まれの帰国子女。トレセン学園最強チーム<リギル>所属のジュニアチャンピオン。クラスはスペシャルウィークやエルコンドルパサーらと同じC組。
しかし流暢な日本語と温和な物腰なので、あまり闘争心がないように思われがちだが、レースで驚くような走りを見せる。
クラスメイト達の良き相談相手であり、しっかりと相手の意見を聞き、やさしく諭すように意見を言う。
そのあまりに的確な発言から「実は腹黒いのでは?」という疑惑も(?)
グラスワンダー号の主戦騎手のマーク戦法を意識したのか、落ち着いた雰囲気だが腹黒いというか、やや執着心の強い(二次創作ではここを誇張したヤンデレ化も多い)性格になっている。怪我でクラシックを全休していることから、アニメシーズン1では第7話で初めてレースシーンが描かれた。
宝塚記念(第8話)
グラスワンダーのメイン回。
スペシャルウィークとの初対戦となる宝塚記念に向けて、一層力を入れてトレーニングに励むグラスワンダーをよそに、当のスペシャルウィークは故障からの復帰を目指すサイレンススズカのリハビリに付きっきりで、レースに全く集中できていなかった。
迎えたレース当日。同期との戦いを前にかつてない闘気を纏って挑むグラスワンダーは、ゲートが開くやスペシャルウィークの背後につける。前年のレースでサイレンススズカが勝利したことに思いを馳せながら走るスペシャルウィークだったが、それを打ち消すほどの気迫が背後から迫っていた。4コーナーで引き離しにかかるもグラスワンダーの徹底的なマークを振り切れず、直線であっという間に抜き去られたスペシャルウィークは3バ身差の2着に甘んじる。終始レースへの集中を欠いていたスペシャルウィークに、グラスワンダーは問いかける。
「 私はスペちゃんだからこそ全力でした。
スペちゃんは、私に全力で来てくれましたか? 」
目標を見失っていたことに気付かされたスペシャルウィークは、日本一のウマ娘になる夢のために復活を誓うのだった。
ちなみにこのレース以降、二人の関係がギクシャクし始めた――ということは無く、サイドストーリーでは一緒にスイーツバイキングに行っていることが明かされた。
ゲーム
育成ストーリーにおいては、「マルゼンスキーの再来」と称されたことをきっかけに、彼女を超えることに目標にするという展開で話が進むが、マルゼンスキーを意識しすぎるあまり、他のウマ娘が眼中になくなる…というアニメ版での誰かさんのような描写がなされている。
コケリウムを育てているらしく、ホーム画面では花がついたことを嬉しそうに教えてくれる。
固有スキル発動時の演出では薙刀を振るうという凛々しい姿を見せる。
デザイン
星をアクセントにしたロングヘアーの栗毛ウマ娘。勝負服はセーラータイプでカラーリングは半沢信彌氏の勝負服をモデルにしているが、右後ろ脚の小白を意識して靴が左右色違いになっている。
デザイン原案がブレザーのようだった時期もあるが、配色や意匠の多くは現デザインに引き継がれている。
余談
納豆などの和食も好みらしいのだが、エルコンドルパサーがそれにも遠慮なくデスソースをぶちまけていることに強く嫌悪感を示している。曰く「あんな文化を踏みにじる行為は許せない」。
食べ方こそ人それぞれなのでなんとも言えないが……ほどほどにね。
競走馬グラスワンダー
1995年生まれ、アメリカ・ケンタッキー州出身。
スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイローも同い年。
的場均騎手を鞍上に迎え、1997年9月の新馬戦でデビューすると、一気に朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)まで4連勝。かつて2歳馬として最高評価を与えられたマルゼンスキーの「再来」と称えられたものの、翌1998年春に骨折、春季シーズンを棒に振る。
10月の毎日王冠で復帰するも、サイレンススズカの圧倒的な逃げに屈し5着、次戦のアルゼンチン共和国杯でも6着と、復帰直後は不振にあえいだが、12月の有馬記念で勝利。
1999年、安田記念こそ2着に敗れるも、アニメでも取り上げられた宝塚記念にて、的場均の徹底マーク戦法から恐ろしい脚を繰り出してスペシャルウィーク(鞍上・武豊)を完封。
1999年7月11日 阪神競馬場
※この年より宝塚記念専用ファンファーレの使用が開始された。
12月の有馬記念でも、同レースが引退レースとなるスペシャルウィークに引導を渡し、有馬2連覇を飾った。
1999年12月26日 中山競馬場 / 実況:堺正幸(フジテレビ)
ところが2000年に入ると、体調不良により調教が上手くいかず、立て続けに大敗。更には宝塚記念(このレースのみ蛯名正義が騎乗)で故障。これが原因となり引退、種牡馬入りした。
産駒は、初年度のマルカラスカルが、中山大障害(2006年)・中山グランドジャンプ(2008年)と、二大障害GI競走を制覇。平地でもスクリーンヒーロー(ジャパンカップ)、セイウンワンダー(朝日杯フューチュリティステークス)、アーネストリー(宝塚記念)の3頭がGⅠを勝利した。
母父としてはメイショウマンボが牝馬二冠を含むGⅠ3勝を挙げた。さらにスクリーンヒーロー産駒からモーリス(安田記念などGⅠ6勝)とゴールドアクター(有馬記念)の2頭のGⅠ馬が誕生した。
2020年4月、種牡馬を引退。NPO法人引退馬協会に引き取られ、北海道新冠郡新冠町にて余生を過ごしている。コロナ禍で移動直後は見学できない状態だったが、競馬番組「馬好王国」にて繫養のロケ企画が行われ、25歳でも元気な姿が放送された。