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菅原道真の編集履歴

2012-02-28 13:26:10 バージョン

菅原道真

すがわらみちざね

平安時代の学者で貴族。

平安時代にいた貴族学者政治家

承和12年6月25日(845年8月1日)~延喜3年2月25日(903年3月26日)。


幼少の頃から詩歌の才に恵まれ、文人として出世。讃岐守にもなり、宮中での紛争を収束させた。道真は遣唐大使に任命されたが、彼の進言で遣唐使を廃止させた。

宇多天皇の信任を得て右大臣にまで昇ったが、藤原氏の反感を買い、左大臣・藤原時平が醍醐天皇に天皇を譲位させようとしていると讒言し、道真は大宰府に権師として左遷。そのままに帰ることなく、当地で没した。


その後、京で天変地異が相次ぎ、時平が若くして急死し、宮殿落雷が起こり、人々は道真が怨霊となって祟りを成したと恐れ、雷神「天神様」として祀り、その後は学問の神として信仰された。

さらに『将門記』には、道真が八幡神に取り次いで平将門を新皇にさせたという。

もっとも、大宰府にいた本人は左遷されたことや藤原氏に対して、恨み辛みを述べてはいなかったという。


百人一首の24番に

此の度は 幣も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神の随に

が選ばれている。


関連イラスト

梅と白菊


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日本史 平安時代 歴史創作 貴族 天神 怨霊 百人一首

大神伝 怨霊系男子 平将門 崇徳上皇 北野天満宮 太宰府天満宮

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