概要
1953年6月、NECのラジオ事業部を独立させ、新日本電気株式会社として発足。本社は大阪市、扱い品目は真空管、ブラウン管、照明器具、テープレコーダーなど。その後ラジオ受信機や白物家電の製造販売へ事業を拡充、1963年よりテレビ受像機の製造部門をNECから移管して総合電機メーカーとしての商品ラインを整備した。1970年代からは市民ラジオ・アマチュア無線機器も生産販売。
1980年代、家庭用VTR市場にベータフォーマット方式で参入、規格主幹であるソニーとは違った観点で製品開発を行い、高い技術力を発揮したが、ベータフォーマット方式の劣勢からVHS方式に転換。1982年、NECのパソコン事業の再編に伴い、家庭用パソコン(PC-6000シリーズ)の事業を、翌年残るすべての8ビットパソコン事業の移管を受ける。
また、1983年に日本電気ホームエレクトロニクス株式会社に商号変更、同年にオーディオ分野に進出。CDプレーヤ(CD-803)やプリメインアンプ A-10などを販売。特にA-10は採算を度外視して作られたと言われ、長岡鉄男などから絶賛をされる。
1989年にNECスーパータワーが完成してNEC本社が移転すると、それまでNEC本社が入っていた森永プラザビル(森永製菓本社)に本社を移した。
2年前の1987年にはPCエンジンを開発・発売し家庭用ゲーム機の分野にも進出する。このPCエンジンは当時の市場を席巻していた任天堂のファミリーコンピュータを性能で大きく凌ぎ、大ヒットとなった。PCエンジンの成功により、日本電気ホームエレクトロニクスは任天堂やセガと並ぶゲーム機メーカーとしてその名を轟かせることとなる。しかし、後継機として1994年末に投入されたPC-FXがゲーム市場の動向を読み誤るなどの戦略ミスが原因で売り上げ不振に陥ってしまった。これが1990年代後半の業績悪化を招くことになり、1999年9月28日に発表されたNECグループの大規模構造改革によって事業分割・移管のうえ解散が決定、2000年3月31日をもってその幕を閉じた。2002年2月に清算完了、これをもって日本電気ホームエレクトロニクス株式会社なる法人は完全に消滅した。
PCエンジンやPC-FXなどの家庭用ゲーム機は、熱狂的なファンが今でもいる。また、出荷数はわずかながら、パイオニアのレーザーアクティブ(PCエンジン・メガドライブ互換機)をNEC-HEブランドで販売していたため、メガドライブ互換機も販売していたこととなる。
業務承継会社
- NECライティング株式会社(照明器具・管球事業)
- NECディスプレイソリューションズ株式会社(コンピュータディスプレイ、プロジェクタ)
- 同社は当初三菱電機との合弁で「NEC三菱電機ビジュアルシステムズ株式会社」という社名だったが、2005年3月31日を以て合弁解消、NECの完全子会社となって社名も変更。
- NECビッグローブ株式会社 - リンダキューブの著作権の一部など、ゲーム作品の権利を継承。