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柳原資廉の編集履歴

2024-07-25 17:53:52 バージョン

柳原資廉

やなぎわらすけかど

柳原資廉とは江戸時代中期の公卿。

概要

父は柳原資行、母は園基音の娘、官位は従一位、権大納言


プロフィール

時代江戸時代中期
生誕正保元年6月30日(1644年8月2日
死没正徳2年9月25日(1712年10月25日
官位従一位、権大納言
主君後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族柳原家
父母父:柳原資行、母:園基音の娘
兄弟方光資廉誠光
資堯北小路徳光室、養子:秀光

経歴

慶安3年(1648年)に従五位下、後に侍従、蔵人、右少弁・左少弁・右中弁・左中弁、蔵人頭などを歴任した、寛文13年(1673年)に右大弁、参議となる、延宝2年(1674年)に従三位、延宝4年(1676年)に権中納言、天和元年(1681年)に権大納言となる、元禄14年(1701年)に天皇の勅使として江戸城へ向かったが赤穂藩浅野長矩が高家吉良義央に対し刃傷事件を起こした現場にいた、後に武家伝奏、従一位となる。


外部リンク

柳原資廉 - Wikipedia


関連タグ

公家 江戸時代 柳原家

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