IMPERATOR CAESAR PVBLIVS HELVIVS PERTINAX AVGVSTVS
本名 | プブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス(PVBLIVS HELVIVS PERTINAX) |
皇帝名 | インペラートルカエサル・プブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス・アウグストス |
スペル | IMPERATOR CAESAR PVBLIVS HELVIVS PERTINAX AVGVSTVS |
生没 | 126年8月1日 - 193年3月28日(66歳) |
継承 | コンモドゥス(アントニヌス家)の後継、セナートスより承認 |
統治 | 126年8月1日 - 193年3月28日(87日) |
概要
ローマ元首(18代)
出生は解放奴隷でローマ元首になる前はローマ軍将軍であった。
先代暴君コンモドゥスの側近となり、コンモドゥスの忙殺後、アントニヌス家の後継を理由にセナートス(元老院)からローマ元首を継承された。彼はコンモドゥス治世下のローマの乱れた風紀やローマの財政を立て直すべく緊縮政策を断行した。
帝国軍の怒りを買い斬殺
これにはローマ帝国軍兵士の給料減額も明記されていた、このことにローマ軍兵士が怒り買い暗殺計画が練られ、わずか即位後87日後に皇帝親衛隊の兵士がパラティウム宮殿へ押しかけペルティナクスを斬殺した。
皇帝親衛隊はこの後『帝位競売』行い、ローマ元首の地位をローマの富豪ディデウス・セウェルス・ユリアヌスが競り落とした
関連
- コンモドゥス:18代(前)
- ディデウス・セウェルス・ユリアヌス:20代(次)