- 一般に白い蓮華を指す言葉。心が清らかで汚れのないことの例え。本項の末にて解説。
- 東方projectの作品『東方星蓮船』のキャラクター。→聖白蓮(ひじりびゃくれん)
- ゲーム『恋姫†無双』において公孫賛 伯珪につけられた真名。読み方は「ぱいれん」。本項では主に彼女のことについて詳しく解説する。
概要(恋姫†無双)
姓が公孫で、名が賛、字が伯珪。
声優は以下の通り→:AYA(恋姫†無双(PC))→柚木かなめ(真・恋姫†無双(PC)) / 茂呂田かおる(コンシューマ版?) / 河原木志穂(アニメ版)
武器名は普通の剣。
作品における違い
恋姫†無双(PC)
北郷一刀がこの世界に来た直後に県令を務めた街(幽州啄郡啄県)の近く(遼西郡)に住む地方領主。
一刀とは友好的で、一刀をそれなりには認めていた数少ない人物。
黄巾党との戦いや董卓軍討伐の際にも参加し、華琳(曹操)と麗羽(袁紹)の仲介役などを務めていた。
董卓軍討伐後に、幕間で袁紹軍に攻められて死んだという一文のみで彼女の死が語られている。(後にこれは色々なところでネタにされた)
本作では真名が無かったため、字の伯珪で呼ばれることが多かった。
真・恋姫†無双(PC)
桃香(劉備)の学友にして、幽州啄郡(ゆうしゅうくぐん)の太守。
真名は本作で初めて設定された。
気が優しく、素直な性格。ほどほどの侠気と勇気を持ち合わせる。しかしこと恋愛に関しては意外と臆病で、いつも悪い方へ悪い方へと考えては、自爆してしまったりする。異性の親友ナンバーワンにしかなれないような、そんな女の子のような感じである。
物語序盤、義勇軍を率いた桃香や一刀たちに助けられる。
スーパー白馬タイム発動!……のはずが、麗羽にあっさり自国を滅ぼされてしまい、桃香達のいる徐州に逃げ込んで食客扱いとなる形で生き延びる。
以後は劉備軍で騎馬隊を率い、武将の1人に準じた活躍をするようになる。但し、後に麗羽が魏に滅ぼされて劉備軍に転がり込んで来ると、その面倒見をする羽目となるなど、前作にもまして貧乏くじを引かされる羽目にもなっている。
常に白馬に乗るため「白馬長史」の二つ名を持ち、競馬大会では翠(馬超)と互角の腕を見せる程である。
萌将伝
蜀の一員として色々と頑張ってはいるようだが、なんとなく影が薄く残念。
また、自分の個性探しをして、妙な語尾(~~杏仁豆腐)を言うなど、自分のキャラ立ち(本人はカラタチと言ってしまう)について悩んでいた。
アニメ版
真面目な性格で、乱れた世を憂う気持ちを持つ。
『真・恋姫†無双』(アニメ版)になり真名がついたが、あまり浸透していないご様子…(アニメでは)。しかも親友だった桃香にさえ真名を忘れられ、何度も「パイパイちゃん」と間違われるなど、すっかり不幸とネタのキャラ設定が定着してしまった。なんという残念……。
『反董卓連合』でも確たる紹介もなく普通に参戦し、視聴者への説明役である講釈師や公式HPのあらすじ紹介でも他一名と省略され、挙句の果ては最終話で兵への号令を噛んでしまい、雑兵役のデクから「残念」と言われる始末だった。
演じる声優の個性が半ばネタとしてキャラに逆輸入され、TV本編の次回予告やOVAの特典映像などで強調されていく事になる。映像特典では真で真名がついたことに喜んでいた。
OVA版では聖フランチェスカ学園3年で公孫賛軍大将。ここでも影が薄いキャラ扱い。OVA2でも影が薄いのでバスに乗り遅れ、劇中のポロリも無し。
残念さん?
上記の通り初作での扱いの悪さ、その後も不憫なネタが多いことから「残念」とか、これといって取り立てた特徴もなく作中ぬきんでて強いという設定でもないため(ゲームシステム上は扱い方しだいだが)「普通さん」とか呼ばれている。
だが初作での所謂「名ありモブ」状態からリメイク作での出世というのはそうめったになく、むしろファンが少数精鋭でなければ起こりえないことである。
また付け加えるなら三国志をテーマにした創作品で公孫瓉が目立つ人物として描かれる事も少ない。
事実、pixivでも長い間「公孫」で検索してヒットするのは彼女だけだった(現在は多少出てきているが)。彼女の扱いは数ある公孫瓉の中で際立った存在といっていいのではないだろうか。
きわめて普通で地味なのだが、周りがあまりに個性的なメンバーすぎるせいか、その地味、普通なのが逆に彼女の個性として確立されたと言って良い。豪傑や知性派、ロリ、熟女、巨乳貧乳、ツンデレで個性を確立したキャラなどはそれぞれ複数いるが、普通、地味を武器に確立させたのは(有る程度出番のあるキャラでは)彼女くらいである。
この節に対する類似キャラ
恋姫†無双シリーズの白蓮(公孫賛)の関連イラスト
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恋姫†無双 真・恋姫†無双 萌将伝 恋姫†無双シリーズの登場人物一覧
1.の白蓮について
サンスクリット語では「プンダリーカ(Pundarika)」と呼ばれるが、この語は法華経の元になった書物の題名にも使用されている。