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スープラの編集履歴

2013-02-17 15:25:44 バージョン

スープラ

すーぷら

トヨタ自動車が1978年から2002年まで製造・販売していたスポーツカーである。日本国内向けは2代目までセリカXXという名前でトヨタカローラ店から販売され、3代目から北米仕様と同じ「スープラ」となる。1986年から2002年までの累計生産台数は28万5,280台。搭載エンジンは、初代から通して直列6気筒のみである。

歴史

初代 A40型/50型(1978年-1981年)

セリカXX/北米スープラの初代モデル。

当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。


2代目 A60型(1981年-1986年)

セリカXX/北米スープラの2代目モデル。

日本国内仕様も1983年からドアミラーが認可される。


3代目(日本国内においては初代) A70型(1986年-1993年)

A70型よりセリカから独立、日本国内でも北米仕様と同じ「SUPRA」という車名を採用。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、トヨタが誇る60年代の名車トヨタ・2000GTをイメージしていた。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用し、当初の主なエンジンは、2.0Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0Lターボの7M-GTEUであった。

1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディーの「3.0GTリミテッド」が追加された。

1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスク及びテールライトのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様へ改良されパワーアップした。また3Lグレードは全て輸出仕様車と同様のワイドボディーとなった。

1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。

モデル末期の1990年8月、最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンを新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEに換装し、またサスペンションにドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。そのためグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称され、3.0Lターボ仕様の7M-GTE搭載車は廃止された。また外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。ちなみにこの「2.5GTツインターボ」は、当時のトヨタ車として初の280psの5速MT設定車であり(AT仕様もあり)、当時の国産市販車の280psクラスのレシプロエンジン車では2.5Lと最小排気量であった。

また、グループAのホモロゲーション取得用モデルとして7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「ターボA」が、1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売された。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240psから270psにまでパワーアップされた。ちなみにグループAでのスープラは、デビューウィンこそ飾ったものの、その後はフォードシエラ日産スカイラインの前に苦戦し、R32スカイラインGT-Rが席巻した1990年をもって撤退した。


4代目 A80型(1993年-2002年)

「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月に販売開始された。

シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。

エンジンは直6 3.0L 2JZ-GEに変更され、新開発の電子制御スロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)。

NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225ps、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボで、最高力が280ps、最大トルクは44kg-m(1993年~1996年)を発生した。

また、当時の日本産乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同製作)を搭載した。なお上級モデルには17インチ扁平タイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポッド 後・対向2ポッド)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。

1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-Rは6速MTのみで17インチ仕様が標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。

1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された。また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。

1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス・相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフやクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。これ以外にもボディ補強などの小変更が行われた。

1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)。

2002年8月、「平成12年度排出ガス規制」に対応できなかったため(同一型式のエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)、ライバル車種の日産・スカイライン、マツダ・RX-7などと共に生産を終了した。


モータースポーツ活動

A70系は1987年より全日本ツーリングカー選手権に参戦。デビュー戦で勝利を飾ったが、その後はレギュレーション変更に伴う重量増加に苦しみ、フォード・シエラの速さや日産・スカイラインの進化に追従できず、1990年限りで撤退した。また、グループA初年度の1987年から1988年にセリカGT-FOURが登場するまでの間、WRCにも参戦したが、こちらは未勝利に終わった。

A80系は1995年・1996年にはスープラ LM-GTでル・マン24時間レースに参戦したほか、主な活動としてSUPER GTのGT500クラスに参戦。スカイラインGT-RやNSXと戦いを繰り広げ、2002年の生産終了後も2005年にレクサス・SCに交代するまで第一線で活躍した。なお2002年には脇阪寿一・飯田章組のエッソウルトラフロースープラがシリーズチャンピオンに輝いている。

ちなみに、SUPER GTに参戦した車両は、参戦当初こそ2JZエンジン搭載であったが、後に2.0L 直4ターボの3S-GTEや自然吸気エンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またサスペンションなどは参戦当初においてTS010のパーツを流用したものに変更された。

2007年のスーパー耐久第3戦・十勝24時間レースに、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rで参戦、総合優勝を果たした。しかし、この1戦のみの参戦だった。

D1グランプリには、織戸学のRS・Rスープラが2005年に1年のみ参戦している。2008年のD1ストリートリーガルの第1戦からはセリカのフロント部を移植した車両が、松井有紀夫ドライブで参戦している。2010年に前年度より再参戦していた織戸学が再びスープラで参戦した。ただし以前使用した車両とは別物である。


車名の由来

ラテン語で「至上かつ最高」「上へ」「超えて」と言った意味を持つ。

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