イタリア王国
いたりあおうこく
この名称を持つ国は3種類存在し、9世紀のイタリア半島北部に存在し、後に神聖ローマ帝国の支配下に入った国、19世紀はじめにオーストリアの支配地域を奪ったナポレオンによる王国、そして19世紀初頭にイタリア半島全域を統一した王国が存在する。
この項目ではおそらく一番利用される3番目に関して記述を行う。
概要
概要
1861~1946年まで存在した立憲君主制のイタリア統一国家である。イタリア共和国の前身。イタリア人による初の統一国家である。しかしこの国家の基盤は脆弱であり、最後はファシズム党極右政権の暴走を抑えきれず崩壊にいたる。
サヴォイア=カリニャーノ朝および領土
サヴォイア=カリニャーノ朝および領土
ナポレオン戦争後のイタリアは、
・ヴェネツィア・ロンバルディアを中心に、トスカーナなどにも公国公家として影響力を持つオーストリア帝国
・ローマを中心とする教皇領
・南部とシチリア島を抑えるブルボン家の両シチリア王国
・北西部のピエモンテとジェノヴァ、サルデーニャ島を持つサルデーニャ王国
に大別されていた。このうち、列強や外国系王家の支配下になくかつ一定の国力を持っていたサルデーニャが統一国家の旗振り役となる。おりしもイタリア各地で統一運動(リソルジメント)が発生しようとしていたが、どちらかと言えば秘密結社的な組織が多かったこれらの運動はなかなか結果に結びつかなかった。
この流れに乗りサルデーニャ王国はクリミア戦争への参戦などでの周辺列強との関係構築や、カヴール首相を中心とする国力増強策で用意を整えたうえで、まずオーストリア支配地域を狙う。フランスと密約を結びオーストリアと戦争して勝利しロンバルディアを入手した。また、イタリア中部のモデナ公国、パルマ公国、トスカーナ大公国は住民投票によりサルデーニャ王国に合流した。なおこの合流の際、密約に従いサヴォワとニースはフランスに割譲される。
両シチリア王国はこれと時を同じくして、革命家ジュゼッペ・ガリバルディら赤シャツ隊が戦乱の末、王政を廃止した。そしてその統治権をサルデーニャ王家に委譲した。
そしてナポレオン没落後廃止されていたイタリア王の称号が復活する。立憲君主制のイタリア王国である。首都は古くからのサルデーニャ王国の首都である、北部のトリノに設置された:
その後、普墺戦争に介入してオーストリアに侵入するとヴェネト州(旧ヴェネツィア共和国領主要部)を入手。さらには普仏戦争の隙を突いて教皇領を占領、ローマを首都とする。これによって一応の統一が達成された。なお、教皇領占領に伴うローマ教皇との対立は20世紀半ばまで続く。
植民地獲得には当初消極的であったものの、後に積極的となり、エチオピアに侵攻して(フランスにより近代化された軍を持っていたため)敗北したり、伊土戦争でリビアを得たりした。
第一次世界大戦においてはドイツ等と同盟を結んでいたにもかかわらず中立を宣言、その後密約を結び連合国側で参戦、勇猛果敢に戦闘する。これにより旧ヴェネツィア共和国の領域であったイストリアを得る。ただしダルマチアなどは得られなかった。
1924年にはファシストの影響下にあったが、フィウーメをえて、さらにその2年後、アルバニアを保護国化し、1939年までこの状況にしたが、その後侵攻し占領する。
1935年には再びエチオピアに侵攻、これを植民地とする。
第二次世界大戦において無条件降伏したものの、講和条約はこの王国ではなく、イタリア共和国が調印した。
内政
内政
内政においては独立の当初小さな王国などに属していた軍人が仕事を失ったりしたため、そこに属していた兵士などがBrigantaggioと呼ばれる非合法集団となり治安的に不安定となったりしており(これの解消には5年ほどかかった)、さらには君主制による統一後の政府・内閣は非常に短命であった(ほとんど1年)であり、国政政治家がマフィア(元祖)らの抗争により殺害されまくる。当然ながらこの王国の状況は非常に不安定であった。
また、第一次エチオピア戦争や第一次世界大戦の参戦は国力を削り、しかも得られたものは思ったよりも少なかったため国内から不満が出ていた。その隙を突きムッソリーニが勢力を伸ばし、1922年にガリバルディの赤シャツ隊をまね革命を起こす、当初これは失敗すると思われたが、国王がこのクーデターをアシストしたため成功する。
しかしこのファシズム集団はかなり独裁的で排他的であり、武力を握ったことで王国は彼らの独裁体制に突入する。また、1926年には他のすべての政党を解散している。
ローマ教皇とは1929年にラテラノ条約(イタリア王国はバチカンを独立地域として認めることと1870年の領地没収の補償を行う、またカトリックが特別な地位にあることを確認、バチカンは対外的に永世中立であること、イタリアの政治に口を出さないことを定めた条約)を締結し、和解する。
その後、ムッソリーニ首領・首相は『ローマ・イタリア帝国』の再建というイタリア世界では極右的政策の野望を掲げ、ヨーロッパ・アフリカ地域に攻め入った。
当時のヨーロッパの状況は世界恐慌の影響で各国ともに不安定となっており、社会主義がもてはやされ、対抗の手段を考えており、国家社会主義もそのひとつであった。そしてまずいことにナチス・ドイツとも手を組んで『世界征服』を本気で目指してしまった。そして第二次世界大戦を勃発させてしまう。
第二次世界大戦中イタリア軍はアフリカ方面、具体的にはエジプトに進出したがこれはうまくいかず、ムッソリーニや支持勢力ファシスタ党が一気に崩壊、イタリア王国はムッソリーニ一派を見捨てる形でクーデターを起こし、連合国に無条件降伏した。なおムッソリーニは第三帝国の傀儡としてイタリア社会共和国を設立したものの、これは1945年に平定された。
大戦に敗れ去ったイタリア王国の再建をめぐるうちに、この国家的敗北の責任は当然ファシストをアシストした君主にあるという結論に民衆・政治家が達したこと、特に都市国家であった北部では王の権威が薄かったこと、責任を取って国王は1946年に退位したものの、これは遅すぎたこと(1943年ごろに退位していたら変わっていたかもしれないといわれる)、後継者であるウンベルト2世がバイセクシャルであったことも影響し1946年の住民投票によりイタリア王国・サヴォイア=カリニャーノ朝は崩壊し、イタリア共和国が建国された。
この名称を持つ国は3種類存在し、9世紀のイタリア半島北部に存在し、後に神聖ローマ帝国の支配下に入った国、19世紀はじめにオーストリアの支配地域を奪ったナポレオンによる王国、そして19世紀初頭にイタリア半島全域を統一した王国が存在する。
この項目ではおそらく一番利用される3番目に関して記述を行う。
概要
概要
1861~1946年まで存在した立憲君主制のイタリア統一国家である。イタリア共和国の前身。イタリア人による初の統一国家である。しかしこの国家の基盤は脆弱であり、最後はファシズム党極右政権の暴走を抑えきれず崩壊にいたる。
サヴォイア=カリニャーノ朝および領土
サヴォイア=カリニャーノ朝および領土
ナポレオン戦争後のイタリアは、
・ヴェネツィア・ロンバルディアを中心に、トスカーナなどにも公国公家として影響力を持つオーストリア帝国
・ローマを中心とする教皇領
・南部とシチリア島を抑えるブルボン家の両シチリア王国
・北西部のピエモンテとジェノヴァ、サルデーニャ島を持つサルデーニャ王国
に大別されていた。このうち、列強や外国系王家の支配下になくかつ一定の国力を持っていたサルデーニャが統一国家の旗振り役となる。おりしもイタリア各地で統一運動(リソルジメント)が発生しようとしていたが、どちらかと言えば秘密結社的な組織が多かったこれらの運動はなかなか結果に結びつかなかった。
この流れに乗りサルデーニャ王国はクリミア戦争への参戦などでの周辺列強との関係構築や、カヴール首相を中心とする国力増強策で用意を整えたうえで、まずオーストリア支配地域を狙う。フランスと密約を結びオーストリアと戦争して勝利しロンバルディアを入手した。また、イタリア中部のモデナ公国、パルマ公国、トスカーナ大公国は住民投票によりサルデーニャ王国に合流した。なおこの合流の際、密約に従いサヴォワとニースはフランスに割譲される。
両シチリア王国はこれと時を同じくして、革命家ジュゼッペ・ガリバルディら赤シャツ隊が戦乱の末、王政を廃止した。そしてその統治権をサルデーニャ王家に委譲した。
そしてナポレオン没落後廃止されていたイタリア王の称号が復活する。立憲君主制のイタリア王国である。首都は古くからのサルデーニャ王国の首都である、北部のトリノに設置された:
その後、普墺戦争に介入してオーストリアに侵入するとヴェネト州(旧ヴェネツィア共和国領主要部)を入手。さらには普仏戦争の隙を突いて教皇領を占領、ローマを首都とする。これによって一応の統一が達成された。なお、教皇領占領に伴うローマ教皇との対立は20世紀半ばまで続く。
植民地獲得には当初消極的であったものの、後に積極的となり、エチオピアに侵攻して(フランスにより近代化された軍を持っていたため)敗北したり、伊土戦争でリビアを得たりした。
第一次世界大戦においてはドイツ等と同盟を結んでいたにもかかわらず中立を宣言、その後密約を結び連合国側で参戦、勇猛果敢に戦闘する。これにより旧ヴェネツィア共和国の領域であったイストリアを得る。ただしダルマチアなどは得られなかった。
1924年にはファシストの影響下にあったが、フィウーメをえて、さらにその2年後、アルバニアを保護国化し、1939年までこの状況にしたが、その後侵攻し占領する。
1935年には再びエチオピアに侵攻、これを植民地とする。
第二次世界大戦において無条件降伏したものの、講和条約はこの王国ではなく、イタリア共和国が調印した。
内政
内政
内政においては独立の当初小さな王国などに属していた軍人が仕事を失ったりしたため、そこに属していた兵士などがBrigantaggioと呼ばれる非合法集団となり治安的に不安定となったりしており(これの解消には5年ほどかかった)、さらには君主制による統一後の政府・内閣は非常に短命であった(ほとんど1年)であり、国政政治家がマフィア(元祖)らの抗争により殺害されまくる。当然ながらこの王国の状況は非常に不安定であった。
また、第一次エチオピア戦争や第一次世界大戦の参戦は国力を削り、しかも得られたものは思ったよりも少なかったため国内から不満が出ていた。その隙を突きムッソリーニが勢力を伸ばし、1922年にガリバルディの赤シャツ隊をまね革命を起こす、当初これは失敗すると思われたが、国王がこのクーデターをアシストしたため成功する。
しかしこのファシズム集団はかなり独裁的で排他的であり、武力を握ったことで王国は彼らの独裁体制に突入する。また、1926年には他のすべての政党を解散している。
ローマ教皇とは1929年にラテラノ条約(イタリア王国はバチカンを独立地域として認めることと1870年の領地没収の補償を行う、またカトリックが特別な地位にあることを確認、バチカンは対外的に永世中立であること、イタリアの政治に口を出さないことを定めた条約)を締結し、和解する。
その後、ムッソリーニ首領・首相は『ローマ・イタリア帝国』の再建というイタリア世界では極右的政策の野望を掲げ、ヨーロッパ・アフリカ地域に攻め入った。
当時のヨーロッパの状況は世界恐慌の影響で各国ともに不安定となっており、社会主義がもてはやされ、対抗の手段を考えており、国家社会主義もそのひとつであった。そしてまずいことにナチス・ドイツとも手を組んで『世界征服』を本気で目指してしまった。そして第二次世界大戦を勃発させてしまう。
第二次世界大戦中イタリア軍はアフリカ方面、具体的にはエジプトに進出したがこれはうまくいかず、ムッソリーニや支持勢力ファシスタ党が一気に崩壊、イタリア王国はムッソリーニ一派を見捨てる形でクーデターを起こし、連合国に無条件降伏した。なおムッソリーニは第三帝国の傀儡としてイタリア社会共和国を設立したものの、これは1945年に平定された。
大戦に敗れ去ったイタリア王国の再建をめぐるうちに、この国家的敗北の責任は当然ファシストをアシストした君主にあるという結論に民衆・政治家が達したこと、特に都市国家であった北部では王の権威が薄かったこと、責任を取って国王は1946年に退位したものの、これは遅すぎたこと(1943年ごろに退位していたら変わっていたかもしれないといわれる)、後継者であるウンベルト2世がバイセクシャルであったことも影響し1946年の住民投票によりイタリア王国・サヴォイア=カリニャーノ朝は崩壊し、イタリア共和国が建国された。
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