コンゴ民主共和国
こんごみんしゅきょうわこく
概要
概要
首都 | キンシャサ特別州 |
---|---|
面積 | 234万5409平方キロメートル |
人口 | 1億504万4646人(2021年7月) |
建国 | 1960年6月30日(ベルギーより独立) |
公用語 | フランス語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 半大統領制 共和国 |
コンゴ民主共和国(コンゴみんしゅきょうわこく、フランス語:République Démocratique du Congo、読み:レピュブリク・デモクラティク・デュ・コンゴ)は、アフリカ中部に位置する共和国。1996年11月の内戦などでインフラが破壊されて経済は壊滅状態となり、世界最貧国の1つとなっている。
歴史
歴史
ベルギー統治時代
1879年11月にベルギー国王レオポルド2世は、コンゴへの関心を高める為にコンゴ国際協会を設立した。1885年8月にコンゴ自由国が成立し、この地はベルギー議会の影響が及ばない国王の完全な私有地となった。なお、名称に自由とあるが、これは「王が自由にできる国」という意味である。熱帯雨林に自生するゴムに注目して急激に生産を増加していくが、これらは地元民の強制労働で支えられていた。
レオポルド2世はコンゴの近代化を推進したが、後に圧政を実施した。地元民は象牙・ゴムの採取を強制的に実行させられ、規定の量に達しなかった場合は手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦無く科された。これによって非難が殺到してこの地を手放し、1908年11月にベルギーの統治に服した。この時に植民地として成功し、圧政の再発防止の為にベルギー政府にコンゴの統治を集中した。これによって植民者に権力は無くなり、その後は独立するまでアフリカで最大の経済力を有する国であった。
独立後
1960年にベルギーはコンゴの独立を承認した。コンゴ国内では中央集権・連邦制のいずれにするかも決定しておらず、国内の学位取得者(大学卒業者)は16人だった。ルムンバが初代首相に就任したが、すぐにコンゴ動乱が発生し、兵士たちによって略奪・ヨーロッパ人の虐殺が開始された。これを受けてベルギーは軍部隊をカタンガ州から出撃させ、ヨーロッパ人の救助を開始した。動乱は5年間続き、モブツ外相によってクーデターを実行され、モブツが権力を掌握して中央集権体制を強化した。1971年10月に国名をザイールに改称したが、1997年5月にローラン・カビラ大統領が今の国名に戻した。
アメリカ合衆国と国際連合がルムンバを再任させようとした為、1961年1月にモブツはルムンバを粛清して1965年11月に政権を掌握した。1997年5月にモブツはモロッコのラバトに向けて出国し、同年9月にその地で死去した。
1976年6月に発見されたエボラウイルス、2020年3月にコロナウイルスに襲われ、国内情勢は現在も安定していない。
国際関係
国際関係
アメリカ合衆国
1960年8月に外交関係を樹立し、ザイール共和国時代は強力な同盟関係にあった。これはモブツ・セセ・セコ大統領が強硬な反共産主義者であると考えられていた為で、モブツは在任中においてほとんどのアメリカの大統領と友好関係にあった。
日本
1960年6月に外交関係を樹立し、コンゴ川に唯一架かっているマタディ橋は1983年4月に日本の援助で建設された。1873年2月に岩倉使節団がベルギーを訪問した際、後に「コンゴ自由国」の支配者となるレオポルド2世に謁見した。
1967年6月に京都大学に霊長類に関する総合的研究を実施する目的で、霊長類研究所が設置された。山極寿一・松沢哲郎などの霊長類学の研究者によって、コンゴ民主共和国におけるゴリラ・チンパンジー・ボノボなどの霊長類などの調査・研究が実施されている。
概要
概要
首都 | キンシャサ特別州 |
---|---|
面積 | 234万5409平方キロメートル |
人口 | 1億504万4646人(2021年7月) |
建国 | 1960年6月30日(ベルギーより独立) |
公用語 | フランス語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 半大統領制 共和国 |
コンゴ民主共和国(コンゴみんしゅきょうわこく、フランス語:République Démocratique du Congo、読み:レピュブリク・デモクラティク・デュ・コンゴ)は、アフリカ中部に位置する共和国。1996年11月の内戦などでインフラが破壊されて経済は壊滅状態となり、世界最貧国の1つとなっている。
歴史
歴史
ベルギー統治時代
1879年11月にベルギー国王レオポルド2世は、コンゴへの関心を高める為にコンゴ国際協会を設立した。1885年8月にコンゴ自由国が成立し、この地はベルギー議会の影響が及ばない国王の完全な私有地となった。なお、名称に自由とあるが、これは「王が自由にできる国」という意味である。熱帯雨林に自生するゴムに注目して急激に生産を増加していくが、これらは地元民の強制労働で支えられていた。
レオポルド2世はコンゴの近代化を推進したが、後に圧政を実施した。地元民は象牙・ゴムの採取を強制的に実行させられ、規定の量に達しなかった場合は手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦無く科された。これによって非難が殺到してこの地を手放し、1908年11月にベルギーの統治に服した。この時に植民地として成功し、圧政の再発防止の為にベルギー政府にコンゴの統治を集中した。これによって植民者に権力は無くなり、その後は独立するまでアフリカで最大の経済力を有する国であった。
独立後
1960年にベルギーはコンゴの独立を承認した。コンゴ国内では中央集権・連邦制のいずれにするかも決定しておらず、国内の学位取得者(大学卒業者)は16人だった。ルムンバが初代首相に就任したが、すぐにコンゴ動乱が発生し、兵士たちによって略奪・ヨーロッパ人の虐殺が開始された。これを受けてベルギーは軍部隊をカタンガ州から出撃させ、ヨーロッパ人の救助を開始した。動乱は5年間続き、モブツ外相によってクーデターを実行され、モブツが権力を掌握して中央集権体制を強化した。1971年10月に国名をザイールに改称したが、1997年5月にローラン・カビラ大統領が今の国名に戻した。
アメリカ合衆国と国際連合がルムンバを再任させようとした為、1961年1月にモブツはルムンバを粛清して1965年11月に政権を掌握した。1997年5月にモブツはモロッコのラバトに向けて出国し、同年9月にその地で死去した。
1976年6月に発見されたエボラウイルス、2020年3月にコロナウイルスに襲われ、国内情勢は現在も安定していない。
国際関係
国際関係
アメリカ合衆国
1960年8月に外交関係を樹立し、ザイール共和国時代は強力な同盟関係にあった。これはモブツ・セセ・セコ大統領が強硬な反共産主義者であると考えられていた為で、モブツは在任中においてほとんどのアメリカの大統領と友好関係にあった。
日本
1960年6月に外交関係を樹立し、コンゴ川に唯一架かっているマタディ橋は1983年4月に日本の援助で建設された。1873年2月に岩倉使節団がベルギーを訪問した際、後に「コンゴ自由国」の支配者となるレオポルド2世に謁見した。
1967年6月に京都大学に霊長類に関する総合的研究を実施する目的で、霊長類研究所が設置された。山極寿一・松沢哲郎などの霊長類学の研究者によって、コンゴ民主共和国におけるゴリラ・チンパンジー・ボノボなどの霊長類などの調査・研究が実施されている。