概要
1959年2月、ソビエト連邦のウラル山脈北部、ホラート・シャフイル山で起きた遭難事件。
被害者は事件名の由来にもなった登山隊のリーダー、イーゴリ・ディアトロフとその仲間である男女8名。
経緯
2月2日、ディアトロフ一行は目的地であるオトルテン山を目指して雪山登山を行っていたが、その夜消息を絶つ。
それから暫く後、20日になってようやく救助隊による捜索が行われ、ホラート・シャフイル山の斜面付近で一行の遺体が発見された。
問題は、その発見された遺体が全裸だったり、交通事故並の衝撃を受けていたり(※外傷はなく強い圧力によるもの)、眼球や舌を失っていたり、放射線が検出されたりするなど、悉く異様な様相を呈していたためである。
また、彼らが使用していたテントも内側から引き裂かれており、荷物が置き去りにされているなど、まるで何かから必死に逃げていたような様子が見て取れる。
考察
一行が全滅しており、目撃者もいないため、現在でも全容は解明されておらず、謎が多い。
当初は原住民のマンシ人による襲撃に遭った、軍の秘密兵器による実験に巻き込まれた、あるいは宇宙人による仕業などオカルト・都市伝説的な文脈で語られることも多かったが、
現在では竜巻によって生じた雪崩に巻き込まれたというのが公式見解となっている模様。
斜面にテントを張った一行が夜の間に雪崩に気づき、荷物を持つ余裕もなく逃げ出した。その際低体温症に陥り矛盾脱衣現象により衣服を脱いだ。また、中には逃げる途中に滑落し大きな衝撃を受けて命を落とした者もいた…と考えられる。
もっとも、放射線が検出された件等は雪崩だけでは説明がつかず、懐疑的に見る者もいる。
余談
怪事件として度々テレビ番組等で取り上げられる他、この事件にインスピレーションを受けた様々な小説や映像作品が制作されている。
関連タグ
八甲田雪中行軍遭難事件…こちらは日本で起きた大規模な遭難事件。矛盾脱衣等同様の状況が見られる。