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概要

後漢の大将軍・何進の異母妹で、本名は「何思(か し)」。


身長は七尺一寸(約163cm)と、当時の女性としては結構長身。

生家は屠殺業という下賤の出自だったが、宦官に賄賂を贈って後宮に入った。後宮に入った後に貴人となり、霊帝の寵愛を受けて劉弁(後の少帝)を生んだ(その際、何進も取り立てられて大将軍にまで出世する)。


霊帝の最初の皇后であった宋氏が廃されると、皇后に立てられた。


霊帝の寵妃であった王美人が劉協(後の献帝)を生んだ時は激しく嫉妬し、王美人を毒殺した。霊帝の怒りを買って廃されそうになったが、宦官の取りなしにより何とか免れた。


霊帝の崩御後に劉弁が即位すると摂政皇太后となり、政敵であった姑の董太后を洛陽から追放して幽殺した。異母兄の何進が袁紹達と共に政敵である十常侍の殺害を計画すると、彼女は宦官とも結託していたため異父兄の何苗と共に何進の計画に反対した。その結果、何進と十常侍が政争で共に滅び、また何苗も何進配下の呉匡によって殺害された。その後、何進の招集に応じて軍勢を進め、十常侍が連れ去った少帝と劉協を救出して洛陽に入った董卓が権限を手中にすることになった。


董卓はたまたま自分と同姓であった董太后の報復として何氏の排除を行い、何皇后を脅迫して少帝の廃位を実行し劉協を帝位に就かせた。さらに董卓は何皇后と劉弁を永安宮に幽閉して、後に李儒に毒殺させた。何皇后が霊帝の陵に合葬されると、董卓は霊帝の陵の副葬品をことごとく奪い取ったという。


三国志演義』でもおおよそ正史と同じ展開で、最期は李儒に劉弁とともに塔の上から落とされて死亡している。


また、王美人や董太后を謀殺した所業などから三国志を題材にした作品では、妖艶な悪女として描かれることが多い。


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三国志 何進 霊帝 少帝 皇后

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