概要
異性愛でも同じことが言えるのだが、「恋愛の表現」と「性欲の表現」のどちらの意味でも使われる。実際には自分を同性愛者とは思っていない人の中でも同性に性的魅力を感じる人も少なからずおり(逆に、同性愛を自認する人の間でも、異性と性的交渉を持つ人もいる)、これを両性愛という。
人口に占める同性愛者の割合は時代、国を問わず30人につき1人から2人とされている。しかし異性が少ない・いない環境(刑務所や男子校・女子校)や文化(古代ギリシャや古代ローマで、中世イスラム世界での少年愛、中世・近世日本の稚児・衆道)等によっては、「同性同士で(も)恋愛・性交する者が社会の多数を占める」ということが起り得る。そのため、現代社会では異性愛文化が標準とされるので異性愛が多数に見えるだけで、純粋な異性愛者は実は少数派であり、機会があれば同性愛行為も行う潜在的両性愛者の方がむしろ多数派なのではないかという議論もある。
pixivへの投稿作品をはじめフィクションでは、ギャグとして描かれたりやたら美化されたりすることもある。。
二次創作・フィクション
古くより扱われている(特に日本文学史上の同性愛に関しては男色・衆道に詳しい)。
近年のサブカルチャーではBL・百合が一大ジャンルをなすほど隆盛を極めている。かつては創作の中でも「禁断の恋」という描かれ方をされることが多かったが、今ではそうではなくなっている。
また、2000年代辺りまでは同性愛者は変態扱いされる風潮があり、当時は子供向けメディア作品ですら平然と同性愛者を変態として描くぐらいであり、如何に安全圏からのいじめとして根深かったかが窺い知れよう。
ただし、フィクションや二次創作における同性愛は、現代日本において当事者が生きる現実とは非常にかけ離れていることが多い。創作における同性愛はしばしばロマンチックに美化されて描かれるが、このような同性愛ファンタジーが、同性愛当事者にとって肯定的な意味を持つか、否定的な意味を持っているのか、一概に論じることは難しい。
同性愛に対する差別
日本では
異性愛と同様、同性愛行為は(対象が18歳以上である限り)特に法律によって規制されてはいない。が、治療対象であった時代は存在した。
1990年にWHOが同性愛を「病」扱いから外してから4年後の1994年、厚生省(のちの厚生労働省)はWHOの見解にしたがうことを発表。翌年1995年、同性愛者の市民団体「動くゲイとレズビアンの会」からの問いかけに答える形で日本精神神経学会も「同性愛は治療対象とならない」ことを表明した。
芸能界など特定の業界ではゲイであることを公表している人物も少なくない。しかし、同性愛に対する好奇の目や偏見、無知、誤解が多いため、日本の同性愛者は世間に自らの性的指向を学校や会社、友人、家族に明かすことを控えている場合が多い。また、社会保障制度上などの差別が存在する。
肯定的な海外
フランス、オランダ、ブラジル、カナダ、アイスランド、英国など性に関わる人権意識が進んだ国では差別は許されず、法律に性的指向による差別禁止が盛り込まれていたり、同性結婚、シビルユニオンなどパートナーシップ保障もある。またタイではこのような制度こそないものの、同性愛の存在は社会に広く受け入れられ、性の多様性について世界で最も寛容な国といわれる。そのためこれらの国では同性の恋人がいることをおおっぴらにしている政治家やビジネスマン、プロスポーツ選手も少なくない。同性婚やパートナーシップ法のある国は現在30ヵ国以上ある。 →同性婚等ができる国(wikipedia)
そのためこれらの国では同性の恋人がいることをおおっぴらにしている政治家やビジネスマン、プロスポーツ選手も少なくない。同性婚やパートナーシップ法のある国は現在30ヵ国以上ある。 →同性婚等ができる国(wikipedia)
否定的海外
一方で諸外国の中には同性愛に対する差別が非常に強いところもあり、法律で禁止されている国家もある。現在70カ国以上で同性愛が違法となっており、このうち9カ国で死刑の可能性もある。同じ宗教でも宗派や地域などによって差はあるものの、イスラム教や、ラスタファリズムなどはゲイに対して差別が強い傾向がある。こうしたゲイフォビアの厳しい地域では、ゲイとバレるとリンチ殺人の対象となる場合もありまさに命がけである。
人権と国際社会
この様な同性愛に対する差別犯罪を無くすことが国際社会に求められており、2011年に国連人権理事会では同性愛に対する人権侵害や暴力、刑罰の撲滅を目指す決議案が可決された。これによりこの決議案は、一切の差別や弾圧を厳禁するため全ての国家が遵守すべき国際法規とされるに到った。また2008年に国連総会で採択された「性的指向と性自認に関する声明」では性的指向や性自認による差別を行った者の処罰の必要性が記され、日本も賛成の意を示している。→ジョグジャカルタ原則
しかしながら2013年にインドで裁判所が事実上死文化していた同性愛を禁止する150年前の法律を有効と判断したり、ロシアの同性愛宣伝禁止法など、同性愛を否定しようとする動きも各地で活発化していることは否めない。
同性愛の「治療」「矯正」
宗教的・保守的な価値観が強かった時代では、世俗の学問ですら同性愛が病気であるとされていた。
(現在では「病気」扱いからはずされており、「矯正」できる科学的根拠も無いとしている)
その頃から連綿と続く活動として同性愛を「治療」「矯正」するというものがある。
しかし精神の根底部分のアイデンティティである性的指向を歪めることはできず、「治療」どころかさらなる苦しみにさらされた人々が欝になったり自殺してしまう事件も起こった。
そのためアメリカ合衆国においては、カリフォルニア州等の14の州と首都ワシントンD.Cで「同性愛者を異性愛者に転向させる『治療』行為」そのものが法律で禁止されている。
信仰の力によって「同性愛から救われた」「同性愛が治った」という人々が存在し、保守層・根本主義者から歓迎されている。
概要にある通り、異性愛者が同性にときめくことはあるが、性的指向でない場合「やめる」事は可能である。
歴史上最古の記録はパウロの『コリント人への第一の手紙』6章9-11節だろうか、ここでは聖書における他の様々な悪徳の実行者のリストの中で「アルセノコイタイ」「マラコイ」が挙げられ、「昔は貴方達もこんなことしてたが今では神の手で『洗い清められた』」というようなことが書かれている。
「アルセノコイタイ」は「男と横たわる者(アルセノコイテース)たち」、「マラコイ」は「男らしくない者(マラコス)たち」といった意味を持ち、日本語訳聖書ではそれぞれに「男色をする者」「男娼」の訳語があてられることもある。
宗教における同性愛
宗教との関係
前述の通り差別の構成要素の一つが宗教である。同性愛を否定する宗教としてはアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が有名であるが、ヒンドゥー教とゾロアスター教でも同性愛は否定される。
大乗仏教では異性愛同性愛問わず性愛自体に非常に否定的である。中世日本の寺院では男色が盛んだったが、男性同士の性交をした人が落ちる多苦悩処という地獄を定めている経典もある。
罪とすることが即、暴力を振るったり殺害することになるとは限らず、「罪を憎んで人を憎まず」のスタンスをとる立場もある。現在のカトリックはその代表格といえる。
しかしその立場でもカトリックは同性結婚には断固反対しており、世俗の法律としても認められるのに極めて否定的である。
信仰と同性愛者
自身の性的指向を隠しながら罪として押さえ込もうとしつつ生きる人もいれば、積極的に信仰と性的指向を両立させようという人もいる。
(たとえば前述のパウロの文章を、神殿売春など性を使った異教儀式、同性間で起こる奴隷的な性的抑圧に限定する解釈が存在する)
後者をする人は異性愛者にも見られ、同性愛者などセクシャルマイノリティ(クィア、LGBT)の権利が擁護される国々で顕著である。
権利が認められる場所ではクィアもカミングアウトしやすく、異性愛者にもカミングアウトした家族や友人がいることが多くなる。
そうした異性愛者にとって自分が信じている宗教が大切な人物をコケにしてしまう状態になる。
そのため、本当は自分達の宗教は同性愛を否定しないものであってほしい、という強い動機が生まれる。
カミングアウトした知り合いが身近にいないヘテロセクシャルにも旧態依然とした時代遅れの価値観として映る。
そのまま宗教離れをしてしまう異性愛者や性的少数者もいるが、教会、信仰共同体に残って、伝統を変えようとする人々も多い。
そのため同性愛、ひいては同性結婚を認めるかどうかは特にキリスト教会を揺るがす大問題となっている。
認めるかどうかで教会が別組織に分裂したケースもある。(米国聖公会、カナダ聖公会から分離した保守派の北米聖公会)
動物の同性愛
チャールズ・ダーウィンの提唱した進化論(自然選択説)の考え方によれば、生き残り子孫を残すのに不利な形質や行動は自然淘汰されるので、直感的には子孫を残せない同性愛行為もまた淘汰されるように思える。
しかしながら野生動物でも同性愛的現象は(例外的ではなく)普遍的にみられ、500種でそのような行動が確認されている。キリンに至っては異性間の交尾よりも雄同士の交尾の方が多いという。また、ヒトに近縁なゴリラは雄だけの同性愛関係で結ばれた群れを作ることがあり、ボノボは、雌同士の挨拶で日常的にホカホカという行為に及ぶ。
一見すると子孫を残すのに不利な同性愛行動だが、進化的に淘汰されていないことからすると、同性愛的行動は進化に対して基本的に中立的(同性愛自体は生物集団の存続に有利でも不利でもない)、もしくは適応的(生物集団全体としての存続に有利に働いている)ですらあるかもしれない。なお上記の「ホカホカ」については、群れを作るボノボにおいて集団内闘争を避けるという進化的合理性を持つことが明らかである。
別名・表記揺れ
同性恋(中国語)