概要
一般的にマスケット銃やライフル銃のように長い銃身と銃床を備えた銃を呼ぶが、散弾銃のようなのものも厳密には小銃に含まれ、かなり広い意味を持つ。また、連射(フルオート射撃)機構を持つ銃は本来含まず、機関銃や短機関銃は含まない。(※)
自動小銃はボルトアクションライフル等と違い、自動で薬莢を排出し、次弾が自動装填される機構(自動排莢・自動装填)を持つ銃を指す。また、アサルトライフルは小銃よりも小型でなおかつ拳銃に使われる物より大型の弾薬を使用し、単射だけでなくフルオート連射も可能なものを指し、突撃銃とも呼ばれる。
現代で自動小銃の中で小銃と名の付くものとしては我が国の64式小銃、89式小銃、ドイツのG3(Gewehr3、3号小銃)、G36(Gewehr36、36号小銃)等が有名である。
(※)これは、機関銃がもともと個人運用できる火器ではなかったことと、短機関銃がそれを小型化したものであるため。正確にはフルオート機構が判断基準ではないが、このように判断する。
また、アサルトライフルだけでなくフルオート機構を備えたバトルライフルも「自動小銃」の範疇に入るが、運用方法などが異なるために区別されることも多い。
主力小銃
主力小銃、つまるところ軍全体で銃の形式を標準化するという行為は、古くは1700年代初期の第一次産業革命に入る直前のフランスやイギリスにおいて既に存在していた。
この頃あった物は前装式で長らくこれが支配的だったものの、しかし南北戦争期に技術の発達で薬莢とライフリングが現れると形式化が急速に進み、それと共に単発の後装式が台頭しこれが少しの合間、主力小銃の基本となった。
少しの合間、というのもこの頃は第二次産業革命の真っ最中であり、同時期にはすぐレバーアクションというそれまでと比べて連射の効く小銃が登場した。
しかしこれは高価であり、なおかつ複雑で生産性に乏しく数を用意できない事とこの時に生まれた塹壕という概念から下に向けて操作するという形は不便で主力小銃にはなり得なかった。特にこの高価という理由はいつまでも主力となる銃の足を引っ張る要素である。
故に変わりの妥協案が探された結果、上がったのがドライセ銃のボルトアクションという方式で、これに新しく生まれていた無煙火薬を使った新型弾薬と弾倉を組み込むことによって、現代人が小銃と言われてまず真っ先に思い浮かぶボルトアクション式ライフルの姿が出来上がった。
なお、単発後装式から此処に来るまで50年も経っていない。産業革命早すぎである。
おかげで第一次世界大戦では小銃だけでも黒色火薬、無煙火薬、単発式、単発式改造、ボルトアクション、更に技術力向上で安価となっていたレバーアクション、半自動小銃などの試作品も加えて入り乱れる混沌とした現場になった。
余談だがこのせいでイギリスは変化についていけず、無煙火薬が登場した二年後に黒色火薬のボルトアクション作ってしまったし、連装にして連射が効くと弾を使い過ぎて敵を倒す前にすぐ弾を枯渇させると思ってたし、それを防ぐ為に単発式として扱えるようマガジンカットオフという次弾装填を防ぐ機能を付けるという今の人間から見ればなんとも変な事していた。
なおこの機能は密閉度が上がったり、別種の弾薬を使いたい時に便利だったので割と評価が良かった。
ともあれボルトアクション式ライフルになってからは一端の落ち着きを見せ、第二次世界大戦時においてすら、各国は20世紀初頭に制式化された小銃に細かな微調整を施しながら主力小銃として扱っていた。
ドイツ・ソ連・イギリス・イタリア・フランスでは一貫してボルトアクション式が主力だった。
ドイツとソ連は戦時裏で開発を重ねて後期には半自動小銃を配備させることが出来ていたが、ソ連のトカレフSVTは欠陥が多く、ドイツのG43は数が揃わなかった。
他の国も無かったわけではないが、現場の無理解や純粋な性能不足や使いづらさがあってテストのみに終わっていたりする。
前線の兵士に半自動小銃を大量に供給し続けることができたのは、富める国アメリカのみであった。
ただし、太平洋戦争初期(1942年初頭)の戦いではM1ガーランドの配備遅延やボルトアクション式のスプリングフィールドM1903がアメリカ極東陸軍の主力小銃であったし、二線の現場では未だ主力小銃の座を保っていた。
そして戦後の冷戦期に入るとこの機構的発展は徐々に停滞し、一部地域では半自動小銃が一時期台頭していたもののゆっくりと世界は自動小銃を移っていき、小銃と呼ばれた銃達は主力の座を去っていった。