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戦艦の砲力と巡洋艦の機動力を合わせ持った軍艦

概要

巡洋戦艦とは、戦艦並の砲力と、巡洋艦の機動力を合わせ持った軍艦の一種である。

日本ではその名称から戦艦の一種とみなされることが多く、実際の日本海軍の認識も近いものであったが、英語ではbattlecruiserと呼び(直訳だと戦闘巡洋艦となる)、本来は装甲巡洋艦の発展型である。

建造された目的としては、味方主力艦隊の前衛や遊撃部隊として走り回り、偵察、そして先んじて敵と接触するためである。遭遇した相手が巡洋艦以下の艦隊であれば自らの戦艦クラスの主砲をもって一方的に撃滅し、戦艦を含む艦隊であった場合は巡洋艦としての高速力をもって敵戦艦の射程内に入らないようにしながら敵位置を通報し、味方主力艦隊と合流した後に合同で敵主力を叩く、というものであった。



定義

条約型戦艦を定義した「ワシントン軍縮条約」の開催前の時点で、巡洋戦艦は実質的な存在意義を殆ど失っていたため、実ははっきりとした巡洋戦艦の定義というものは存在しない。

そのため各国によって巡洋戦艦を自称する艦の定義はまちまちであり、主だったところでは

イギリスでは戦艦の主砲を持つが装甲は薄い巡洋艦

日本では足は速いが装甲は弱めの戦艦

ドイツでは足は速いが主砲と装甲を一段弱めた戦艦

といった方向で整備されていた。

歴史の項で後述するが、第一次世界大戦の結果、ドイツの巡洋戦艦は勇戦したものの敗戦の為消え去り、戦勝国イギリスの主砲が強い巡洋艦は実情にそぐわないコンセプトであったことが明らかとなり、本来の意味での巡洋戦艦はその後に造られる事は無かった。

ワシントン軍縮条約では主力艦、つまり戦艦の扱いを受け、その時点で保有していた国(イギリス・日本)は条約に従って保有量超過分の廃棄、練習戦艦への変更などの処分を実施している。



歴史

日露戦争日本海海戦で、日本海軍は戦艦から成る第一戦隊と共に、装甲巡洋艦から成る第二戦隊を編成した。日本海軍は貴重な新鋭戦艦2隻を触雷で失っていたこともあり、他の国では主力艦とは見なされていなかった装甲巡洋艦隊を、戦艦隊を力のある右腕に例えるならば、機敏な左腕として戦艦と並ぶ主力扱いで用いて歴史的戦果を挙げた。

戦後、日本海軍はこの考えをさらに発展させ、戦艦(前ド級戦艦)と同等の12インチ(30.5cm)砲を、連装2基4門備えた筑波型・鞍馬型の装甲巡洋艦を建造した(のち、書類上も巡洋戦艦に類別)。

同じころ、イギリス海軍は、中間砲を排して前ド級戦艦の2.5倍の10門もの主砲を備え、機関をタービン化することで巡洋艦に近い21ノットの速力を得た超戦艦ドレッドノートを建造したが(ド級戦艦の誕生)、同様の手法を装甲巡洋艦にも取り入れた。こうして建造されたのがインヴィンシブル級であり、12インチ砲8門と速力25ノットを備えていた。このインヴィンシブル級を形容するために生まれたのがbattlecruiserという言葉である。

巡洋戦艦は、発祥の国イギリスで速力は防御力となり得ると提唱した当時の海軍卿フィッシャー提督の強力な後推しを受け次々と建造され、15インチ砲を備えたレナウン級フッドに至る。また、イギリス海軍の弟子筋である日本海軍も新たな主力艦のモデルとして巡洋戦艦を取り入れ、金剛型を輸入&ライセンス生産した。また、イギリス海軍の当時のライバルドイツ海軍もイギリスの巡洋戦艦に対抗すべく建造に着手した。ただし、イギリス海軍式の巡洋戦艦は装甲巡洋艦以下のクラスを狩ることを目的として設計されており、戦艦、そして同格の巡洋戦艦とは戦わない想定で防御を前身の装甲巡洋艦並の薄さに留めていたのに対し、ドイツ海軍のそれは英式の巡洋戦艦とも戦うべく砲力を一段押えることで(ドイツ自身の戦艦には劣るものの)十分な防御力を得ていた点が異なっていた。

そして当時の戦艦は、戦艦として砲力と防御力は強力だったものの巡洋艦に比べるとかなり鈍足だった。(ただし日本海軍は金剛型の装甲は巡洋戦艦としてはかなり強化しており、金剛型から発展させた扶桑型以降の戦艦にはそれなりの高速力を求めていた)

これは、第一次大戦ごろの技術力では一隻の軍艦に攻防走全てを満足させることが難しかったことによる。一方巡洋戦艦は装甲は薄いものの強力な機関と大きな艦体が必要であり、下手をすると同時期の戦艦よりも大きく建造費も高くついた。このため、アメリカ・フランスなどのように、戦艦を建造するような大海軍でありながら巡洋戦艦建造に乗り出さない国も多かった。ロシアはボロジノ級巡洋戦艦を建造していたが、ロシア革命の影響により中止された。

そのため巡洋戦艦は戦艦に準じる主力艦とされていたものの、数の上での巡洋艦戦力の主力とはなり得ず、各国海軍の数的な主力となったのは安価な装甲巡洋艦であった。

そして、第一次世界大戦、巡洋戦艦はその速力で海戦があれば花形として舞台に必ず顔を出し、その大砲力で敵の巡洋艦を一方的に屠る期待通りの活躍を見せたが、ユトランド沖海戦にてついに巡洋戦艦同士で撃ち合った結果、防御力の弱さから多くの艦が早々に大破、沈没してしまい、速力は防御力の代わりにはならないという結果を見せつけることになった。

もちろん当時から巡洋戦艦が戦艦(と巡洋戦艦)と撃ち合えば危険というのは認識はされており、両軍ともに後方からついてくる自軍の戦艦部隊に敵を誘引するために巡洋戦艦部隊を牽制として使用していたのだが、その牽制の段階で悲劇が起こってしまったのである。

一方で従来型の戦艦は巡洋戦艦の部隊に追いつけず、巡洋戦艦同士が想像以上の早さで壊滅したこともあり、決着が着くまでに戦場に到着できなかった。

このため大戦終結後、戦艦にはまず戦闘に参加できる高速力、巡洋戦艦(+戦艦)は足りない装甲防御力を増す方向に進化は向かい、これらを一本化して高速戦艦に至る道が見えたところで、ワシントン海軍軍縮条約により戦艦や巡洋戦艦の建造は中断された。

この時点で本来の意味での「巡洋戦艦」は既に存在意義を失っており、条約までに計画されていた各国の新型巡洋戦艦はユトランド沖海戦の戦訓から戦前の戦艦を上回る程に装甲を強化される設計であった。

同条約の失効後(海軍休日明け)に建造された戦艦の多くはいずれも高速力と重装甲を両立させており、(装甲巡洋艦の発展型としての)本来の巡洋戦艦は新規には建造されなかった。条約前に建造された高速戦艦の走りが、クイーン・エリザベス級や長門型である。条約前に建造された最後の巡洋戦艦であるフッドも当時としては大幅に装甲が強化されており、後の高速化された戦艦に近づいていた。日本の金剛型に至っては一部ながら装甲を戦艦並みに強化したため戦艦に艦種変更、1931年には巡洋戦艦という等級そのものが削除されていたため、海軍休日の期間中に発祥国の英国以外からは巡洋戦艦という艦種は消滅した。その英国でも巡洋戦艦は主力艦として条約の制限を受けるため、最新鋭であったフッド、レナウン、レパルスの3隻を残して処分対象となり、姿を消している。


なお、海軍休日明けに建造された軍艦のうち、戦艦並の巨体や、巡洋艦並の高速力を備えながら、砲力が戦艦にしては弱いダンケルク級シャルンホルスト級は、装甲巡洋艦の系譜ではないが巡洋戦艦と呼ばれることもある。またドイッチュラント級装甲艦アラスカ級大型巡洋艦など重巡洋艦の強化型も「戦艦と巡洋艦の中間」ということで巡洋戦艦と呼ばれることがある。ただしあくまで他国からそう呼ばれることがあったというだけで、巡洋戦艦として造られたわけではない。

※ただしアラスカ級は巡洋戦艦に近い運用を求められた結果、本来の意味での巡洋戦艦的な性格を持っていた。


最後まで巡洋戦艦を自称していた艦のうち、第二次世界大戦に参加したのは前述した英国の3隻のみである(フッド、レナウン、レパルス)。

戦闘でフッドとレパルスは沈み、元・巡洋戦艦の金剛型もすべて戦没したため、第二次大戦を生き残った巡洋戦艦はレナウンただ一隻であった。


主な巡洋戦艦

日本

アメリカ

イギリス

ドイツ

ロシア・ソ連

余談

ロシア海軍のキーロフ級ミサイル巡洋艦はジェーン海軍年鑑で巡洋戦艦と記載されているが、巡洋戦艦の定義である「戦艦並の砲力」に該当せず、これは冷戦期の「ジェーン海軍年鑑」で暫々見られる実態と異なる記述の一つである。

キーロフ級ミサイル巡洋艦は現代的なミサイル艦が大型化したものであり、通常「巡洋戦艦」に分類されることはない。


日本の化粧品ブランドとしてかつて存在した「レナウン」の名称は、1922年にイギリス皇太子 (後のエドワード8世) のお召艦として訪日した英国の巡洋戦艦レナウンにちなんだものである。

(※レナウン搭乗の水兵の帽子に刺繍されていた金色の RENOWN という文字のスマートさからとられたともされる)


関連タグ

軍艦 大砲 装甲

高速戦艦 戦艦 前弩級戦艦 弩級戦艦 超弩級戦艦

戦列艦 海防戦艦 航空戦艦 ポケット戦艦 アーセナルシップ

宇宙戦艦 飛行戦艦 陸上戦艦

戦艦娘

概要

巡洋戦艦とは、戦艦並の砲力と、巡洋艦の機動力を合わせ持った軍艦の一種である。

日本ではその名称から戦艦の一種とみなされることが多く、実際の日本海軍の認識も近いものであったが、英語ではbattlecruiserと呼び(直訳だと戦闘巡洋艦となる)、本来は装甲巡洋艦の発展型である。

建造された目的としては、味方主力艦隊の前衛や遊撃部隊として走り回り、偵察、そして先んじて敵と接触するためである。遭遇した相手が巡洋艦以下の艦隊であれば自らの戦艦クラスの主砲をもって一方的に撃滅し、戦艦を含む艦隊であった場合は巡洋艦としての高速力をもって敵戦艦の射程内に入らないようにしながら敵位置を通報し、味方主力艦隊と合流した後に合同で敵主力を叩く、というものであった。



定義

条約型戦艦を定義した「ワシントン軍縮条約」の開催前の時点で、巡洋戦艦は実質的な存在意義を殆ど失っていたため、実ははっきりとした巡洋戦艦の定義というものは存在しない。

そのため各国によって巡洋戦艦を自称する艦の定義はまちまちであり、主だったところでは

イギリスでは戦艦の主砲を持つが装甲は薄い巡洋艦

日本では足は速いが装甲は弱めの戦艦

ドイツでは足は速いが主砲と装甲を一段弱めた戦艦

といった方向で整備されていた。

歴史の項で後述するが、第一次世界大戦の結果、ドイツの巡洋戦艦は勇戦したものの敗戦の為消え去り、戦勝国イギリスの主砲が強い巡洋艦は実情にそぐわないコンセプトであったことが明らかとなり、本来の意味での巡洋戦艦はその後に造られる事は無かった。

ワシントン軍縮条約では主力艦、つまり戦艦の扱いを受け、その時点で保有していた国(イギリス・日本)は条約に従って保有量超過分の廃棄、練習戦艦への変更などの処分を実施している。



歴史

日露戦争日本海海戦で、日本海軍は戦艦から成る第一戦隊と共に、装甲巡洋艦から成る第二戦隊を編成した。日本海軍は貴重な新鋭戦艦2隻を触雷で失っていたこともあり、他の国では主力艦とは見なされていなかった装甲巡洋艦隊を、戦艦隊を力のある右腕に例えるならば、機敏な左腕として戦艦と並ぶ主力扱いで用いて歴史的戦果を挙げた。

戦後、日本海軍はこの考えをさらに発展させ、戦艦(前ド級戦艦)と同等の12インチ(30.5cm)砲を、連装2基4門備えた筑波型・鞍馬型の装甲巡洋艦を建造した(のち、書類上も巡洋戦艦に類別)。

同じころ、イギリス海軍は、中間砲を排して前ド級戦艦の2.5倍の10門もの主砲を備え、機関をタービン化することで巡洋艦に近い21ノットの速力を得た超戦艦ドレッドノートを建造したが(ド級戦艦の誕生)、同様の手法を装甲巡洋艦にも取り入れた。こうして建造されたのがインヴィンシブル級であり、12インチ砲8門と速力25ノットを備えていた。このインヴィンシブル級を形容するために生まれたのがbattlecruiserという言葉である。

巡洋戦艦は、発祥の国イギリスで速力は防御力となり得ると提唱した当時の海軍卿フィッシャー提督の強力な後推しを受け次々と建造され、15インチ砲を備えたレナウン級フッドに至る。また、イギリス海軍の弟子筋である日本海軍も新たな主力艦のモデルとして巡洋戦艦を取り入れ、金剛型を輸入&ライセンス生産した。また、イギリス海軍の当時のライバルドイツ海軍もイギリスの巡洋戦艦に対抗すべく建造に着手した。ただし、イギリス海軍式の巡洋戦艦は装甲巡洋艦以下のクラスを狩ることを目的として設計されており、戦艦、そして同格の巡洋戦艦とは戦わない想定で防御を前身の装甲巡洋艦並の薄さに留めていたのに対し、ドイツ海軍のそれは英式の巡洋戦艦とも戦うべく砲力を一段押えることで(ドイツ自身の戦艦には劣るものの)十分な防御力を得ていた点が異なっていた。

そして当時の戦艦は、戦艦として砲力と防御力は強力だったものの巡洋艦に比べるとかなり鈍足だった。(ただし日本海軍は金剛型の装甲は巡洋戦艦としてはかなり強化しており、金剛型から発展させた扶桑型以降の戦艦にはそれなりの高速力を求めていた)

これは、第一次大戦ごろの技術力では一隻の軍艦に攻防走全てを満足させることが難しかったことによる。一方巡洋戦艦は装甲は薄いものの強力な機関と大きな艦体が必要であり、下手をすると同時期の戦艦よりも大きく建造費も高くついた。このため、アメリカ・フランスなどのように、戦艦を建造するような大海軍でありながら巡洋戦艦建造に乗り出さない国も多かった。ロシアはボロジノ級巡洋戦艦を建造していたが、ロシア革命の影響により中止された。

そのため巡洋戦艦は戦艦に準じる主力艦とされていたものの、数の上での巡洋艦戦力の主力とはなり得ず、各国海軍の数的な主力となったのは安価な装甲巡洋艦であった。

そして、第一次世界大戦、巡洋戦艦はその速力で海戦があれば花形として舞台に必ず顔を出し、その大砲力で敵の巡洋艦を一方的に屠る期待通りの活躍を見せたが、ユトランド沖海戦にてついに巡洋戦艦同士で撃ち合った結果、防御力の弱さから多くの艦が早々に大破、沈没してしまい、速力は防御力の代わりにはならないという結果を見せつけることになった。

もちろん当時から巡洋戦艦が戦艦(と巡洋戦艦)と撃ち合えば危険というのは認識はされており、両軍ともに後方からついてくる自軍の戦艦部隊に敵を誘引するために巡洋戦艦部隊を牽制として使用していたのだが、その牽制の段階で悲劇が起こってしまったのである。

一方で従来型の戦艦は巡洋戦艦の部隊に追いつけず、巡洋戦艦同士が想像以上の早さで壊滅したこともあり、決着が着くまでに戦場に到着できなかった。

このため大戦終結後、戦艦にはまず戦闘に参加できる高速力、巡洋戦艦(+戦艦)は足りない装甲防御力を増す方向に進化は向かい、これらを一本化して高速戦艦に至る道が見えたところで、ワシントン海軍軍縮条約により戦艦や巡洋戦艦の建造は中断された。

この時点で本来の意味での「巡洋戦艦」は既に存在意義を失っており、条約までに計画されていた各国の新型巡洋戦艦はユトランド沖海戦の戦訓から戦前の戦艦を上回る程に装甲を強化される設計であった。

同条約の失効後(海軍休日明け)に建造された戦艦の多くはいずれも高速力と重装甲を両立させており、(装甲巡洋艦の発展型としての)本来の巡洋戦艦は新規には建造されなかった。条約前に建造された高速戦艦の走りが、クイーン・エリザベス級や長門型である。条約前に建造された最後の巡洋戦艦であるフッドも当時としては大幅に装甲が強化されており、後の高速化された戦艦に近づいていた。日本の金剛型に至っては一部ながら装甲を戦艦並みに強化したため戦艦に艦種変更、1931年には巡洋戦艦という等級そのものが削除されていたため、海軍休日の期間中に発祥国の英国以外からは巡洋戦艦という艦種は消滅した。その英国でも巡洋戦艦は主力艦として条約の制限を受けるため、最新鋭であったフッド、レナウン、レパルスの3隻を残して処分対象となり、姿を消している。


なお、海軍休日明けに建造された軍艦のうち、戦艦並の巨体や、巡洋艦並の高速力を備えながら、砲力が戦艦にしては弱いダンケルク級シャルンホルスト級は、装甲巡洋艦の系譜ではないが巡洋戦艦と呼ばれることもある。またドイッチュラント級装甲艦アラスカ級大型巡洋艦など重巡洋艦の強化型も「戦艦と巡洋艦の中間」ということで巡洋戦艦と呼ばれることがある。ただしあくまで他国からそう呼ばれることがあったというだけで、巡洋戦艦として造られたわけではない。

※ただしアラスカ級は巡洋戦艦に近い運用を求められた結果、本来の意味での巡洋戦艦的な性格を持っていた。


最後まで巡洋戦艦を自称していた艦のうち、第二次世界大戦に参加したのは前述した英国の3隻のみである(フッド、レナウン、レパルス)。

戦闘でフッドとレパルスは沈み、元・巡洋戦艦の金剛型もすべて戦没したため、第二次大戦を生き残った巡洋戦艦はレナウンただ一隻であった。


主な巡洋戦艦

日本

アメリカ

ロシア・ソ連

余談

ロシア海軍のキーロフ級ミサイル巡洋艦はジェーン海軍年鑑で巡洋戦艦と記載されているが、巡洋戦艦の定義である「戦艦並の砲力」に該当せず、これは冷戦期の「ジェーン海軍年鑑」で暫々見られる実態と異なる記述の一つである。

キーロフ級ミサイル巡洋艦は現代的なミサイル艦が大型化したものであり、通常「巡洋戦艦」に分類されることはない。


日本の化粧品ブランドとしてかつて存在した「レナウン」の名称は、1922年にイギリス皇太子 (後のエドワード8世) のお召艦として訪日した英国の巡洋戦艦レナウンにちなんだものである。

(※レナウン搭乗の水兵の帽子に刺繍されていた金色の RENOWN という文字のスマートさからとられたともされる)


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