『週刊少年ジャンプ』で1996年から1997年まで連載されていた木多康昭の漫画。
「作者は病気」とか「みんなのトラウマ」とかが恐ろしい程ギュッと詰まった作品である。
概要
千葉県幕張地区の高校「幕張南高校」の野球部の日常を描いたギャグ漫画だが、メインキャラが野球部員という設定であるだけで、試合やら練習の様子が描かれたことはない。
中盤からは「世界高校生選手権」でのバトルが繰り広げられるバトル漫画みたいになった。
物語は基本的には「塩田鉄人」と、漫画界屈指の変態「奈良重雄」を中心に進むが、最終回で真の主人公がガモウひろしであることが明かされる。
ついでに連載が唐突に完結に至った理由は「ウンコを流すことが出来なかったから」とのことである。
作者曰く「あの時やめてなければ本作のかわりに(まだカードゲーム路線でブレイクする以前で低迷期だった)遊戯王が終わっていた」のこと。当時の遊戯王の担当は本作と同じ後述の瓶子氏であり、作者は彼を通じて遊戯王側に自分のアイデアをいくつか提供し、実際に採用されて使われたこともあると主張しているが、これらに対して遊戯王サイドからのコメントは今のところないため真偽は不明。
「週刊少年ジャンプ」連載作品のパロディや、実在の編集者や作家をモデルにしたキャラクターが大勢登場し、ギリギリの暴露ネタや楽屋オチが大量に登場するが、小栗かずまたをモデルにした「小栗又一郎」は、小栗本人から「いいかげんにしてください」とクレームを受け、途中から登場しなくなった。
また瓶子吉久(週刊少年ジャンプの10代目編集長)は、当時担当していたかずはじめとの不倫を作中で暴露され「これで離婚になったら木多くんのせいだからな!」としていたが、実際離婚するハメに陥った。(再婚相手はかずはじめである)
その他、「漫画の中で殺すかもね」(月島薫)、「正直迷惑しているが、怒ったら奴の思うツボ」(つの丸)など、他の漫画家からも迷惑がられていた、当時のジャンプ誌の大問題児であった。
ちなみに当時から「本当に危険なら、そもそも編集者が載せない」と言われていたりするが、他誌連載にて作者は危険なネタを通す方法として「締め切り過ぎて落ちるギリギリまで、あえて原稿を渡さない」という手法があることを明かしていたりする。
表現を直させたり代原を探す暇を与えないことで、「誌面に穴を開けるくらいなら、(どうせ大抵は漫画家や自分以外の編集者が被害者だし)危険でも通すしかない」という事でどうにかなるとか。
※ただし「平成義民伝説代表人」では、急病名目で一エピソードが落とされてしまったとコミックスで嘆いていた。「40ページも描いたのに!!」
このように本作のためならパクりも辞さない行為に読者の評価は賛否両論であり、アシスタントをはじめとするジャンプ関係者からもクズや外道と罵られても木多は開き直り、本作を『汚(よご)れ漫画』と称している。
主な登場人物
木多康昭(作者自身)