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池田屋事件

3

いけだやじけん

元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都池田屋に潜伏していた尊皇攘夷派志士たちを、新撰組が襲撃した事件。
元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都池田屋に潜伏していた尊皇攘夷派志士たちを、新撰組が襲撃した事件。

経緯

幕末京都では、尊皇攘夷、反幕府などの思想を掲げる志士たちが盛んに活動を行っていた。

八月十八日の政変で失脚した長州藩は、勢力挽回を目論み潜伏。京都守護職松平容保は傘下の新撰組京都見廻組を用いて取り締まりを強めていた。


元治元年6月5日、新撰組は以前より不審な行動を取っていた炭屋の枡屋喜右衛門を捕縛。店から武器や長州志士との書簡を発見する。新撰組は喜右衛門を拷問し、その正体が大物志士古高俊太郎であること、また長州・土佐肥後藩などの志士たちが、祇園祭前の風の強い日に市中に放火し、混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去ろうとしていることを突き止めた。

一方、古高が捕縛されたことを知った宮部鼎蔵ら志士たちは池田屋に集まり、古高奪回の襲撃を決行するか否かの会合を行っていた。


同日夜、新撰組は局長近藤勇の隊と副長土方歳三の隊に別れ、鴨川の東西を捜索。

亥の刻(22時)過ぎ、近藤隊は池田屋で会合中の志士たちを発見。近藤は沖田総司永倉新八藤堂平助を連れ屋内に斬り込み、残りの隊士に出入り口を固めさせた。

志士たちは応戦しつつ、裏口を固めていた新撰組隊士を破って数名が脱出する。

新選組側は沖田、藤堂の戦線離脱で一時劣勢となるが、土方隊の到着により形勢は逆転。未明までには会津桑名藩の応援が到着し、翌朝には残党狩りが始まった。


影響

新撰組は御所焼き討ちを未然に防いだとして一躍名をあげ、また志士たちからは恐れられ恨まれる存在となった。

尊皇攘夷派は数多くの逸材を失い、これにより明治維新が一年は遅れたとも、逆にこれが刺激となり一年早まったとも言われる。


長州藩はこの事件に激昂し挙兵。翌月、禁門の変を引き起こし、京都は戦火に包まれた。


新撰組の最大の晴れ舞台とされるが、当時彼らは財政難に陥っており、解体もささやかれるほどの窮状であった。また、維新志士たちが御所焼き討ちを計画していたという資料は幕府側にしか存在しない。

これらのことから、実は存亡の危機に陥った新撰組が、政敵にテキトーな罪を着せて潰すことで功績を挙げる狂言だったのではないかという見方もある。


出動した新撰組隊士

近藤隊(計10名)近藤勇 沖田総司 永倉新八 藤堂平助 武田観柳斎 谷万太郎 奥沢栄助 安藤早太郎 新田革左衛門 浅野薫
土方隊(計24名)土方歳三 斎藤一 原田左之助 井上源三郎 島田魁 松原忠司 谷三十郎 谷周平 河合耆三郎 蟻通勘吾 葛山武八郎 川島勝司 林信太郎 三品仲治 篠塚峰三 酒井兵庫 中村金吾 伊木八郎 宿院良蔵 尾関弥四郎 佐々木蔵之助 木内峰太 松本喜次郎 竹内元太郎
屯所守備(計6人)山南敬助 尾形俊太郎 尾関雅次郎 山野八十八 柳田三二郎 山崎烝

※山崎は志士達の会合場所を調べるため、薬問屋に変装し、先に池田屋に潜伏していた。(諸説あり)


尊王攘夷派志士

※それぞれの状況については記録が錯綜しているため諸説あるが、そのうち一説を載せている。

宮部鼎蔵~松田重助の七名は俗に「池田屋殉難七士」と呼ばれる。

宮部鼎蔵肥後藩。吉田松陰とは盟友。池田屋内で自害。享年45。
吉田稔麿長州藩。松下村塾三秀の一人。会合の途中で一度藩邸に戻る。襲撃の知らせを受けて救援に向かうが、途中で会津藩士に見つかり殺害された。享年24。
北添佶摩土佐藩。坂本龍馬とともに蝦夷地開拓を計画していた。池田屋内で自害。享年30。
大高又次郎林田藩。赤穂浪士四十七士の1人、大高忠雄の子孫。池田屋内で討死。享年42。
大高忠兵衛林田藩。又次郎の義弟。いったん脱出。後に捕縛され、7月4日(8月5日)に獄死。享年42。
石川潤次郎土佐藩。池田屋内で討死。享年28。
杉山松助長州藩。松下村塾門下。襲撃を知って藩邸から救援に向かうが、会津藩士に見つかり交戦。傷を負って藩邸に戻るが、翌朝死亡。享年27。
松田重助肥後藩。宮部の弟子。池田屋内で捕縛される。翌朝脱走するも、巡回中の会津藩士に殺害された。享年35。
望月亀弥太土佐藩。坂本龍馬とともに勝海舟の下で航海術を学んでいた。池田屋から脱出する。途中で会津藩士と交戦後、自害。享年27。
宮部春蔵肥後藩。宮部鼎蔵の弟。脱出に成功し長州藩邸に逃れる。その後禁門の変に参加し戦死。
藤崎八郎土佐藩。池田屋付近を通りかかったところ、新撰組らに怪しまれ殺害された。享年22。弟の藤崎吉五郎は後に三条制札事件で新選組に殺害されている。
その他の攘夷派志士淵上郁太郎 広岡浪秀 野老山吾吉郎 伊藤弘長 福岡祐次郎 越智正之 酒井金三郎 内山太郎右衛門 佐伯稜威雄 佐藤一郎 山田虎之助 北村善吉 瀬尾幸十郎 安藤鉄馬 沢井帯刀 大中主膳 森主計 西川耕造 木村甚五郎 今井三郎右衛門 村上俊平 河田佐久馬 高木元右衛門 岩佐某 有吉熊次郎 大沢逸平 松山良造 田中長九郎 吉田五郎 南雲平馬 国重正文 錦織有無之助

桂小五郎は会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話して難を逃れている。


新選組側の死傷者

奥沢栄助裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦し、即死。池田屋事件での唯一の死亡者。
安藤早太郎裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。弓術の達人であった。
新田革左衛門裏口を固めていたところを脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。
藤堂平助近藤とともに最初に突入。油断して鉢金を外したところ、眉間を斬られ戦線を離脱する。
永倉新八近藤とともに最初に突入。左手親指に重傷を負った。
沖田総司近藤とともに最初に突入。病で倒れ戦線を離脱する。血を吐いたとされることがあるが後世の創作。実際には熱中症であったと思われる。

その後の池田屋

事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業した。


元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。1960年ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、現在は新撰組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業し、多くの新撰組ファンが来店している。


関連項目

新撰組

経緯

幕末京都では、尊皇攘夷、反幕府などの思想を掲げる志士たちが盛んに活動を行っていた。

八月十八日の政変で失脚した長州藩は、勢力挽回を目論み潜伏。京都守護職松平容保は傘下の新撰組京都見廻組を用いて取り締まりを強めていた。


元治元年6月5日、新撰組は以前より不審な行動を取っていた炭屋の枡屋喜右衛門を捕縛。店から武器や長州志士との書簡を発見する。新撰組は喜右衛門を拷問し、その正体が大物志士古高俊太郎であること、また長州・土佐肥後藩などの志士たちが、祇園祭前の風の強い日に市中に放火し、混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去ろうとしていることを突き止めた。

一方、古高が捕縛されたことを知った宮部鼎蔵ら志士たちは池田屋に集まり、古高奪回の襲撃を決行するか否かの会合を行っていた。


同日夜、新撰組は局長近藤勇の隊と副長土方歳三の隊に別れ、鴨川の東西を捜索。

亥の刻(22時)過ぎ、近藤隊は池田屋で会合中の志士たちを発見。近藤は沖田総司永倉新八藤堂平助を連れ屋内に斬り込み、残りの隊士に出入り口を固めさせた。

志士たちは応戦しつつ、裏口を固めていた新撰組隊士を破って数名が脱出する。

新選組側は沖田、藤堂の戦線離脱で一時劣勢となるが、土方隊の到着により形勢は逆転。未明までには会津桑名藩の応援が到着し、翌朝には残党狩りが始まった。


影響

新撰組は御所焼き討ちを未然に防いだとして一躍名をあげ、また志士たちからは恐れられ恨まれる存在となった。

尊皇攘夷派は数多くの逸材を失い、これにより明治維新が一年は遅れたとも、逆にこれが刺激となり一年早まったとも言われる。


長州藩はこの事件に激昂し挙兵。翌月、禁門の変を引き起こし、京都は戦火に包まれた。


新撰組の最大の晴れ舞台とされるが、当時彼らは財政難に陥っており、解体もささやかれるほどの窮状であった。また、維新志士たちが御所焼き討ちを計画していたという資料は幕府側にしか存在しない。

これらのことから、実は存亡の危機に陥った新撰組が、政敵にテキトーな罪を着せて潰すことで功績を挙げる狂言だったのではないかという見方もある。


出動した新撰組隊士

近藤隊(計10名)近藤勇 沖田総司 永倉新八 藤堂平助 武田観柳斎 谷万太郎 奥沢栄助 安藤早太郎 新田革左衛門 浅野薫
土方隊(計24名)土方歳三 斎藤一 原田左之助 井上源三郎 島田魁 松原忠司 谷三十郎 谷周平 河合耆三郎 蟻通勘吾 葛山武八郎 川島勝司 林信太郎 三品仲治 篠塚峰三 酒井兵庫 中村金吾 伊木八郎 宿院良蔵 尾関弥四郎 佐々木蔵之助 木内峰太 松本喜次郎 竹内元太郎
屯所守備(計6人)山南敬助 尾形俊太郎 尾関雅次郎 山野八十八 柳田三二郎 山崎烝

※山崎は志士達の会合場所を調べるため、薬問屋に変装し、先に池田屋に潜伏していた。(諸説あり)


尊王攘夷派志士

※それぞれの状況については記録が錯綜しているため諸説あるが、そのうち一説を載せている。

宮部鼎蔵~松田重助の七名は俗に「池田屋殉難七士」と呼ばれる。

宮部鼎蔵肥後藩。吉田松陰とは盟友。池田屋内で自害。享年45。
吉田稔麿長州藩。松下村塾三秀の一人。会合の途中で一度藩邸に戻る。襲撃の知らせを受けて救援に向かうが、途中で会津藩士に見つかり殺害された。享年24。
北添佶摩土佐藩。坂本龍馬とともに蝦夷地開拓を計画していた。池田屋内で自害。享年30。
大高又次郎林田藩。赤穂浪士四十七士の1人、大高忠雄の子孫。池田屋内で討死。享年42。
大高忠兵衛林田藩。又次郎の義弟。いったん脱出。後に捕縛され、7月4日(8月5日)に獄死。享年42。
石川潤次郎土佐藩。池田屋内で討死。享年28。
杉山松助長州藩。松下村塾門下。襲撃を知って藩邸から救援に向かうが、会津藩士に見つかり交戦。傷を負って藩邸に戻るが、翌朝死亡。享年27。
松田重助肥後藩。宮部の弟子。池田屋内で捕縛される。翌朝脱走するも、巡回中の会津藩士に殺害された。享年35。
望月亀弥太土佐藩。坂本龍馬とともに勝海舟の下で航海術を学んでいた。池田屋から脱出する。途中で会津藩士と交戦後、自害。享年27。
宮部春蔵肥後藩。宮部鼎蔵の弟。脱出に成功し長州藩邸に逃れる。その後禁門の変に参加し戦死。
藤崎八郎土佐藩。池田屋付近を通りかかったところ、新撰組らに怪しまれ殺害された。享年22。弟の藤崎吉五郎は後に三条制札事件で新選組に殺害されている。
その他の攘夷派志士淵上郁太郎 広岡浪秀 野老山吾吉郎 伊藤弘長 福岡祐次郎 越智正之 酒井金三郎 内山太郎右衛門 佐伯稜威雄 佐藤一郎 山田虎之助 北村善吉 瀬尾幸十郎 安藤鉄馬 沢井帯刀 大中主膳 森主計 西川耕造 木村甚五郎 今井三郎右衛門 村上俊平 河田佐久馬 高木元右衛門 岩佐某 有吉熊次郎 大沢逸平 松山良造 田中長九郎 吉田五郎 南雲平馬 国重正文 錦織有無之助

桂小五郎は会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話して難を逃れている。


新選組側の死傷者

奥沢栄助裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦し、即死。池田屋事件での唯一の死亡者。
安藤早太郎裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。弓術の達人であった。
新田革左衛門裏口を固めていたところを脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。
藤堂平助近藤とともに最初に突入。油断して鉢金を外したところ、眉間を斬られ戦線を離脱する。
永倉新八近藤とともに最初に突入。左手親指に重傷を負った。
沖田総司近藤とともに最初に突入。病で倒れ戦線を離脱する。血を吐いたとされることがあるが後世の創作。実際には熱中症であったと思われる。

その後の池田屋

事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業した。


元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。1960年ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、現在は新撰組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業し、多くの新撰組ファンが来店している。


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  • Life On Mars ?

    Space Oddity

    【元治元年 夏】  池田屋事件後、まだ身体が回復しない、沖田総司をさり気無く(?)気遣う斎藤一。  そして沖田さんは、一君が大好きです。  文月晦日、火星が大接近!空を見上げて斎沖星をさがします。  斎沖の日によせて 夏の過ごし方SS  土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし) 《Life On Mars?》のシリーズ Tonight | #pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9064514 Life On Mars ? | kozukata #pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7642138
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  • 冷たくて寒い夜にー

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  • Killing me softly

    池田屋事件での沖田と吉田稔麿の話。
  • えっ、ここって?

    トリップしました捨壱

    池田屋事件ですね。 池田屋行きたい。
  • いつかの宿で。

    池田屋の酷い敵部隊名を見て(笑) 過去と向き合う加州清光の話です。
  • 冷たくて寒い夜にー

    何も出来ない

    池田屋事件の前日までの話です。次ようやく池田屋事件が勃発します。
  • 真・にこまき無双 猛将伝

    本日のお題:「新撰組」 にこまきがアキバで買った新作ゲームに挑戦! 日本(ひのもと)無双の武士(もののふ)は誰だ? 【土方歳三 無双演武】 第一話 池田屋の変 第二話 蛤御門の変 第三話 鳥羽伏見の戦い 第四話 甲府城の戦い 第五話 五稜郭の戦い 【沖田総司 無双演武】 第一話 池田屋の変 第二話 蛤御門の変 第三話 高台寺党制圧戦 第四話 長州征伐 第五話 鳥羽伏見の戦い
  • 冷たくて寒い夜にー

    事の前兆 沖田総司視点

    もうすぐで、ちゃんと本編に入ります。もうすぐと言っても後2話くらいだとは思いますが。
  • 冷たくて寒い夜にー

    守られてばかり

    長くなりましたが、今回はほとんど沖田総司が主人公な感じになってます。追記のところで、それ以外に分からないところがあったらコメントしてください。このシリーズはこれを入れてあと4話ほどで終わらせたいと思っています。
  • 君の死に笑顔を

    桂小五郎。

    桂さんの呟き。 悲しい気持ちになっているのでギャグはありません。
  • 新選組ぶいすぽっ!

    第四章:池田屋事件

    ぶいすぽっ!新選組パロです。史実の歴史を所々改変しています。一部流血表現注意です。 感想や設定についての質問等のコメントもお待ちしております。 好評であれば続けていきたいと思います ※語り手を三人称から一人称に変更しました
  • 池田屋での想い

    【あらすじ】 ある日の本丸にて。近侍の加州清光に審神者から出陣命令が下る。場所は「池田屋」。 出陣する第一部隊は、審神者から驚きの事実を告げられる。それは、歴史改変主義者に『堕ちた』審神者の存在だった。 本当は池田屋事件の日に合わせて投稿したりとかしてみたかったり。結局間に合わなかった…(笑) 刀剣乱舞に今更ハマったので、きっと流行りを過ぎて需要は無いだろうけど自己満で書いた私が楽しいだけのお話です。 ※初期刀:加州清光、初鍛刀:愛染国俊のうちの本丸を舞台にしてます。 ○加州清光 沖田総司の愛刀の一つ。初期刀であり近侍を務めている。安定のことをなんやかんや気にかけている。主に愛されるために可愛くしている。お洒落には抜かりない。沖田くんのことは大好きだが、普段は「あの人」呼びを貫く。 ○大和守安定 沖田総司の愛刀の一つ。この本丸には割と初期に鍛刀されてきた。沖田くん大好き。いけないことだと思いつつも、沖田くんが長生きし、池田屋で清光が折れない未来を夢見てしまう。 ○堀川国広 土方歳三の愛刀の一つ。この本丸には鯰尾の次に脇差としてやってきた。和泉守兼定をとても大切に思っており「兼さん」と呼び慕う。清光の本心にも安定の本心にも気がついている。 ○和泉守兼定 土方歳三の愛刀の一つ。この本丸には堀川国広を追うように鍛刀されてきた。堀川国広とニコイチの関係で、とても仲良し。いつも一緒にいる。サバサバして見えて実はけっこう過去を引きずっている。 ○長曽祢虎徹 近藤勇の愛刀。この本丸には最近やってきたために練度はまだかなり低い。新撰組の他4振りを信頼しつつも心配している、お父さんのような立ち位置(しかしレベルが一番低いため清光たちには心配される)。 ◯審神者 この本丸に就任した審神者。高校時代は日本史専攻で、歴史に強い。刀剣たちを家族のように思っている。「全員折れずに帰還しなさい」を第一の主命としている。歴史を変えてはいけないことについて、「その歴史に生きた人たちの人生を否定したくない」と同意している。初期刀である清光と初鍛刀の愛染にはこの想いを伝えている。
    18,394文字pixiv小説作品
  • 沖田 総司の義妹は鬼であった。

    鬼の娘達には昔の記憶がない。

    *一部原作とは異なる箇所もあります。 *なんでも許せる方のみお読みください。 感想など頂けると喜びます。 https://marshmallow-qa.com/koigokoro_asahi?utm_medium=url_text&utm_source=promotion
  • 元治元年、池田屋にて

    初書きです。 史実(たぶん)の池田屋事件と沖田をとうらぶの設定の加州から見てます。加州はまだ付喪神になってません。 私の中で、沖田くんは明るい好青年。 駄文だ……精進したい。 ※7.28. 修正。誤字に気付いた。ごめん、長曽祢。

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池田屋事件
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池田屋事件
3

池田屋事件

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いけだやじけん

元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都池田屋に潜伏していた尊皇攘夷派志士たちを、新撰組が襲撃した事件。
元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都池田屋に潜伏していた尊皇攘夷派志士たちを、新撰組が襲撃した事件。

経緯

幕末京都では、尊皇攘夷、反幕府などの思想を掲げる志士たちが盛んに活動を行っていた。

八月十八日の政変で失脚した長州藩は、勢力挽回を目論み潜伏。京都守護職松平容保は傘下の新撰組京都見廻組を用いて取り締まりを強めていた。


元治元年6月5日、新撰組は以前より不審な行動を取っていた炭屋の枡屋喜右衛門を捕縛。店から武器や長州志士との書簡を発見する。新撰組は喜右衛門を拷問し、その正体が大物志士古高俊太郎であること、また長州・土佐肥後藩などの志士たちが、祇園祭前の風の強い日に市中に放火し、混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去ろうとしていることを突き止めた。

一方、古高が捕縛されたことを知った宮部鼎蔵ら志士たちは池田屋に集まり、古高奪回の襲撃を決行するか否かの会合を行っていた。


同日夜、新撰組は局長近藤勇の隊と副長土方歳三の隊に別れ、鴨川の東西を捜索。

亥の刻(22時)過ぎ、近藤隊は池田屋で会合中の志士たちを発見。近藤は沖田総司永倉新八藤堂平助を連れ屋内に斬り込み、残りの隊士に出入り口を固めさせた。

志士たちは応戦しつつ、裏口を固めていた新撰組隊士を破って数名が脱出する。

新選組側は沖田、藤堂の戦線離脱で一時劣勢となるが、土方隊の到着により形勢は逆転。未明までには会津桑名藩の応援が到着し、翌朝には残党狩りが始まった。


影響

新撰組は御所焼き討ちを未然に防いだとして一躍名をあげ、また志士たちからは恐れられ恨まれる存在となった。

尊皇攘夷派は数多くの逸材を失い、これにより明治維新が一年は遅れたとも、逆にこれが刺激となり一年早まったとも言われる。


長州藩はこの事件に激昂し挙兵。翌月、禁門の変を引き起こし、京都は戦火に包まれた。


新撰組の最大の晴れ舞台とされるが、当時彼らは財政難に陥っており、解体もささやかれるほどの窮状であった。また、維新志士たちが御所焼き討ちを計画していたという資料は幕府側にしか存在しない。

これらのことから、実は存亡の危機に陥った新撰組が、政敵にテキトーな罪を着せて潰すことで功績を挙げる狂言だったのではないかという見方もある。


出動した新撰組隊士

近藤隊(計10名)近藤勇 沖田総司 永倉新八 藤堂平助 武田観柳斎 谷万太郎 奥沢栄助 安藤早太郎 新田革左衛門 浅野薫
土方隊(計24名)土方歳三 斎藤一 原田左之助 井上源三郎 島田魁 松原忠司 谷三十郎 谷周平 河合耆三郎 蟻通勘吾 葛山武八郎 川島勝司 林信太郎 三品仲治 篠塚峰三 酒井兵庫 中村金吾 伊木八郎 宿院良蔵 尾関弥四郎 佐々木蔵之助 木内峰太 松本喜次郎 竹内元太郎
屯所守備(計6人)山南敬助 尾形俊太郎 尾関雅次郎 山野八十八 柳田三二郎 山崎烝

※山崎は志士達の会合場所を調べるため、薬問屋に変装し、先に池田屋に潜伏していた。(諸説あり)


尊王攘夷派志士

※それぞれの状況については記録が錯綜しているため諸説あるが、そのうち一説を載せている。

宮部鼎蔵~松田重助の七名は俗に「池田屋殉難七士」と呼ばれる。

宮部鼎蔵肥後藩。吉田松陰とは盟友。池田屋内で自害。享年45。
吉田稔麿長州藩。松下村塾三秀の一人。会合の途中で一度藩邸に戻る。襲撃の知らせを受けて救援に向かうが、途中で会津藩士に見つかり殺害された。享年24。
北添佶摩土佐藩。坂本龍馬とともに蝦夷地開拓を計画していた。池田屋内で自害。享年30。
大高又次郎林田藩。赤穂浪士四十七士の1人、大高忠雄の子孫。池田屋内で討死。享年42。
大高忠兵衛林田藩。又次郎の義弟。いったん脱出。後に捕縛され、7月4日(8月5日)に獄死。享年42。
石川潤次郎土佐藩。池田屋内で討死。享年28。
杉山松助長州藩。松下村塾門下。襲撃を知って藩邸から救援に向かうが、会津藩士に見つかり交戦。傷を負って藩邸に戻るが、翌朝死亡。享年27。
松田重助肥後藩。宮部の弟子。池田屋内で捕縛される。翌朝脱走するも、巡回中の会津藩士に殺害された。享年35。
望月亀弥太土佐藩。坂本龍馬とともに勝海舟の下で航海術を学んでいた。池田屋から脱出する。途中で会津藩士と交戦後、自害。享年27。
宮部春蔵肥後藩。宮部鼎蔵の弟。脱出に成功し長州藩邸に逃れる。その後禁門の変に参加し戦死。
藤崎八郎土佐藩。池田屋付近を通りかかったところ、新撰組らに怪しまれ殺害された。享年22。弟の藤崎吉五郎は後に三条制札事件で新選組に殺害されている。
その他の攘夷派志士淵上郁太郎 広岡浪秀 野老山吾吉郎 伊藤弘長 福岡祐次郎 越智正之 酒井金三郎 内山太郎右衛門 佐伯稜威雄 佐藤一郎 山田虎之助 北村善吉 瀬尾幸十郎 安藤鉄馬 沢井帯刀 大中主膳 森主計 西川耕造 木村甚五郎 今井三郎右衛門 村上俊平 河田佐久馬 高木元右衛門 岩佐某 有吉熊次郎 大沢逸平 松山良造 田中長九郎 吉田五郎 南雲平馬 国重正文 錦織有無之助

桂小五郎は会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話して難を逃れている。


新選組側の死傷者

奥沢栄助裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦し、即死。池田屋事件での唯一の死亡者。
安藤早太郎裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。弓術の達人であった。
新田革左衛門裏口を固めていたところを脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。
藤堂平助近藤とともに最初に突入。油断して鉢金を外したところ、眉間を斬られ戦線を離脱する。
永倉新八近藤とともに最初に突入。左手親指に重傷を負った。
沖田総司近藤とともに最初に突入。病で倒れ戦線を離脱する。血を吐いたとされることがあるが後世の創作。実際には熱中症であったと思われる。

その後の池田屋

事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業した。


元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。1960年ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、現在は新撰組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業し、多くの新撰組ファンが来店している。


関連項目

新撰組

経緯

幕末京都では、尊皇攘夷、反幕府などの思想を掲げる志士たちが盛んに活動を行っていた。

八月十八日の政変で失脚した長州藩は、勢力挽回を目論み潜伏。京都守護職松平容保は傘下の新撰組京都見廻組を用いて取り締まりを強めていた。


元治元年6月5日、新撰組は以前より不審な行動を取っていた炭屋の枡屋喜右衛門を捕縛。店から武器や長州志士との書簡を発見する。新撰組は喜右衛門を拷問し、その正体が大物志士古高俊太郎であること、また長州・土佐肥後藩などの志士たちが、祇園祭前の風の強い日に市中に放火し、混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去ろうとしていることを突き止めた。

一方、古高が捕縛されたことを知った宮部鼎蔵ら志士たちは池田屋に集まり、古高奪回の襲撃を決行するか否かの会合を行っていた。


同日夜、新撰組は局長近藤勇の隊と副長土方歳三の隊に別れ、鴨川の東西を捜索。

亥の刻(22時)過ぎ、近藤隊は池田屋で会合中の志士たちを発見。近藤は沖田総司永倉新八藤堂平助を連れ屋内に斬り込み、残りの隊士に出入り口を固めさせた。

志士たちは応戦しつつ、裏口を固めていた新撰組隊士を破って数名が脱出する。

新選組側は沖田、藤堂の戦線離脱で一時劣勢となるが、土方隊の到着により形勢は逆転。未明までには会津桑名藩の応援が到着し、翌朝には残党狩りが始まった。


影響

新撰組は御所焼き討ちを未然に防いだとして一躍名をあげ、また志士たちからは恐れられ恨まれる存在となった。

尊皇攘夷派は数多くの逸材を失い、これにより明治維新が一年は遅れたとも、逆にこれが刺激となり一年早まったとも言われる。


長州藩はこの事件に激昂し挙兵。翌月、禁門の変を引き起こし、京都は戦火に包まれた。


新撰組の最大の晴れ舞台とされるが、当時彼らは財政難に陥っており、解体もささやかれるほどの窮状であった。また、維新志士たちが御所焼き討ちを計画していたという資料は幕府側にしか存在しない。

これらのことから、実は存亡の危機に陥った新撰組が、政敵にテキトーな罪を着せて潰すことで功績を挙げる狂言だったのではないかという見方もある。


出動した新撰組隊士

近藤隊(計10名)近藤勇 沖田総司 永倉新八 藤堂平助 武田観柳斎 谷万太郎 奥沢栄助 安藤早太郎 新田革左衛門 浅野薫
土方隊(計24名)土方歳三 斎藤一 原田左之助 井上源三郎 島田魁 松原忠司 谷三十郎 谷周平 河合耆三郎 蟻通勘吾 葛山武八郎 川島勝司 林信太郎 三品仲治 篠塚峰三 酒井兵庫 中村金吾 伊木八郎 宿院良蔵 尾関弥四郎 佐々木蔵之助 木内峰太 松本喜次郎 竹内元太郎
屯所守備(計6人)山南敬助 尾形俊太郎 尾関雅次郎 山野八十八 柳田三二郎 山崎烝

※山崎は志士達の会合場所を調べるため、薬問屋に変装し、先に池田屋に潜伏していた。(諸説あり)


尊王攘夷派志士

※それぞれの状況については記録が錯綜しているため諸説あるが、そのうち一説を載せている。

宮部鼎蔵~松田重助の七名は俗に「池田屋殉難七士」と呼ばれる。

宮部鼎蔵肥後藩。吉田松陰とは盟友。池田屋内で自害。享年45。
吉田稔麿長州藩。松下村塾三秀の一人。会合の途中で一度藩邸に戻る。襲撃の知らせを受けて救援に向かうが、途中で会津藩士に見つかり殺害された。享年24。
北添佶摩土佐藩。坂本龍馬とともに蝦夷地開拓を計画していた。池田屋内で自害。享年30。
大高又次郎林田藩。赤穂浪士四十七士の1人、大高忠雄の子孫。池田屋内で討死。享年42。
大高忠兵衛林田藩。又次郎の義弟。いったん脱出。後に捕縛され、7月4日(8月5日)に獄死。享年42。
石川潤次郎土佐藩。池田屋内で討死。享年28。
杉山松助長州藩。松下村塾門下。襲撃を知って藩邸から救援に向かうが、会津藩士に見つかり交戦。傷を負って藩邸に戻るが、翌朝死亡。享年27。
松田重助肥後藩。宮部の弟子。池田屋内で捕縛される。翌朝脱走するも、巡回中の会津藩士に殺害された。享年35。
望月亀弥太土佐藩。坂本龍馬とともに勝海舟の下で航海術を学んでいた。池田屋から脱出する。途中で会津藩士と交戦後、自害。享年27。
宮部春蔵肥後藩。宮部鼎蔵の弟。脱出に成功し長州藩邸に逃れる。その後禁門の変に参加し戦死。
藤崎八郎土佐藩。池田屋付近を通りかかったところ、新撰組らに怪しまれ殺害された。享年22。弟の藤崎吉五郎は後に三条制札事件で新選組に殺害されている。
その他の攘夷派志士淵上郁太郎 広岡浪秀 野老山吾吉郎 伊藤弘長 福岡祐次郎 越智正之 酒井金三郎 内山太郎右衛門 佐伯稜威雄 佐藤一郎 山田虎之助 北村善吉 瀬尾幸十郎 安藤鉄馬 沢井帯刀 大中主膳 森主計 西川耕造 木村甚五郎 今井三郎右衛門 村上俊平 河田佐久馬 高木元右衛門 岩佐某 有吉熊次郎 大沢逸平 松山良造 田中長九郎 吉田五郎 南雲平馬 国重正文 錦織有無之助

桂小五郎は会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話して難を逃れている。


新選組側の死傷者

奥沢栄助裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦し、即死。池田屋事件での唯一の死亡者。
安藤早太郎裏口を固めていたところ、脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。弓術の達人であった。
新田革左衛門裏口を固めていたところを脱出を図った志士たちと交戦。負傷が元で翌月死亡。
藤堂平助近藤とともに最初に突入。油断して鉢金を外したところ、眉間を斬られ戦線を離脱する。
永倉新八近藤とともに最初に突入。左手親指に重傷を負った。
沖田総司近藤とともに最初に突入。病で倒れ戦線を離脱する。血を吐いたとされることがあるが後世の創作。実際には熱中症であったと思われる。

その後の池田屋

事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業した。


元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。1960年ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、現在は新撰組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業し、多くの新撰組ファンが来店している。


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