ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

浅原事件

1290(正応3)年3月10日早朝、一族郎従を率いて宮中に乱入し、伏見天皇を殺害しようとして果たさず、清涼殿で自殺した。為頼が事を起こした動機は明らかでないが、大覚寺持明院両統間の抗争が背景に窺える。当時も皇位継承に不満をもつ大覚寺統の亀山天皇(発生当時は上皇)がこの事件に関係ありとのうわさが流れたが、法皇幕府に、事件に関係がない旨の誓紙を入れて事無きを得た。

関連タグ

鎌倉時代

武士

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました