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概要

イラクアメリカ合衆国を主体とした多国籍軍により行われた戦争


時はイラン・イラク戦争が終結した1980年代末、戦争中より米ソ中といった大国やペルシャ湾沿岸のアラブ諸国からの援助を受けていたイラクは、中東では最大・世界でも第4位の軍備を抱える軍事大国となったが、巨額の戦時債務を抱えることとなった。戦争によって経済にも打撃を被って復興が遅れていたイラクにとって外貨を得る手段は石油輸出のみだったが、頼みの綱であるその石油の価格は1バレル当たり15~16ドルと低迷を続けており、経済的に半ば詰みかけていたのである。


そうして戦時債務の返済が進まないイラクに対してアメリカは穀物の輸出制限を開始、食料をアメリカに頼るイラクは困窮していく。更には隣国クウェートが過剰な石油増産を続けたため、石油価格がさらに下落。さらにイラクとの油田領有をめぐって両国の摩擦が激しくなった。

  • ちなみにクウェートの他にも、サウジアラビアアラブ首長国連邦(UAE)が過剰な石油増産を行っていた。クウェートとUAEはOPEC(石油輸出国機構)を無視してこの動きを進めていたが、サウジアラビアは表向きはOPECの指示に従っていた。ではなぜサウジアラビアが増産を行えたのかというと、同国の王家であるサウード家が国有油田とは別に私有物として石油採掘を行い、それを海外に売りさばいていたからであった。

そして1990年8月2日にイラクの戦車部隊がクウェートに侵攻、サダム・フセインは併合を宣言し、傀儡政権を樹立。(クウェート侵攻、またはイラク・クウェート戦争)

これに対し、国連による撤退を求める決議の期限が経過した後の翌1991年1月17日にアメリカのシュワルツコフ司令官率いる多国籍軍側の空爆(「砂漠の嵐」作戦)によって戦闘開始。

2月24日からの地上戦(「砂漠の剣」作戦)でクウェートからイラク軍を排除、3月3日に暫定停戦協定が結ばれ終結した。


20世紀最後の戦車戦「73イースティングの戦い」で多国籍軍のM1エイブラムスチャレンジャー12がイラク軍のT-72MやT-55と戦闘し、その戦いは多国籍軍の一方的な勝利に終わった。世代や性能が違い過ぎるので当然の結果であるが、これは開発元のソ連にとってショックな出来事だった。


マスコミ

ベトナム戦争での戦訓から、マスメディアに対してのコントロールを重視しており、従軍記者の行動や取材内容などをコントロールする事で捏造報道の抑制やクリーンな戦争のアピールや反戦運動と結びつくような報道を抑えるなどが行われた。

(湾岸戦争における報道関連でナイラ証言が挙げられるが、こういった派兵をあおるようなプロパガンダは珍しくなく、アメリカの独立戦争やWW2戦の頃も行われていた古い手である)


時差の関係(本国+6時間)でクウェート亡命政府とイラク・フセイン政権の舌戦は東京の大使館が舞台となり、また日本でも朝食時に夜戦(主としてミサイル砲撃)の光景が流れるなど、テレビとの結びつきの非常に強い戦争であった。


多国籍軍のイラク上陸部隊を出迎えたのは、「PRESS」の腕章を着けた多国籍軍参加各国の報道陣であった。上陸する兵士を前から撮っていたという。


イスラムとの関係

この戦争で米軍がメッカを有するサウジアラビアに駐留したことがイスラム系過激派を刺激し、後にアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンによる同時多発テロの計画・実行につながった。


NATO域外展開を禁じた条文のために派兵が出来なかったドイツ及び日本は参戦せず、アメリカとクウェートに戦費と資金の面で協力(機雷除去のために海自が派遣されたが、これは戦後のことである)。後に日本ではPKO協力法成立のきっかけになった。


ドイツも裁判所での判断などにより条文の改正を行い、国連PKOや平和維持活動などでNATO圏外への派兵が行われるようになった。


なお、よく混同されるがサダム・フセインはアラブ民族主義者でありイスラム原理主義者ではない。


NINTENDO WAR

GPSのナビゲーションを用いた初の戦争であり、空対地ミサイルAGM-84E SLAMのシーカー映像やAH-64のサーマル映像などが公開され、さらにこの戦争でステルス機F-117が有名となり、アメリカ軍のハイテク装備とイラク軍の旧式となった装備との差があったこともあり、旧態の戦争と分ける意味でハイテク戦争とも呼ばれた。

またミサイルが標的に突っ込んでいく映像や地対空砲が飛び交う夜空の映像なども有名となり、戦争がゲーム感覚になったとも言われる。


冗談めかして「NINTENDO WAR(テレビゲームのような戦争)」と呼ばれたことも。これは日本でのテレビゲームの代名詞が「ファミコン」であったように、主にアメリカ等の海外では「NINTENDO」だった為。

ちなみに当の任天堂(おそらくニンテンドウオブアメリカ)は米軍に娯楽品として「ゲームボーイ」を提供していた事実はあるが、この湾岸戦争を「NINTENDO WAR」として揶揄された事に強い不快感を持っている。言ってみればとんだ風評被害である。


2018年現在、米軍の最新鋭潜水艦の制御機器(潜望鏡に相当する機器の操縦桿)や無人車両(UGV)の操縦にはXbox360のコントローラーを流用されている。

1基数万ドル掛かるあまりに高価な軍需産業メーカー製のジョイスティック式操縦桿の扱いにくさ(操作のみの慣熟に数時間)と耐久性のなさに将兵がしびれを切らし、「これがいい」と選んだのがゲーム機のコントローラー。

1基40ドル弱(レートによるが4,5千円)と専用品(潜水艦向けのジョイスティックが3万8,000ドル)よりはるかに安く、耐久性と操作性が高く(ましてオフのときに遊んでたりして使い慣れている)、万一壊れても世界中大抵の国で安く売られているからだという。(さらにデバイスドライバの仕様が公開されていて改良や自作すら可能な上に、同じドライバで動く他社製互換品も多数あるのでMS製品である必要すらない)

ロシアも同様に民生品のコントローラーで操縦する無人車両を開発している。


2009年にはアメリカ空軍がPS3を300台ほど導入して実験し、Linuxを入れて並列処理によりスーパーコンピューターとして使用する実験が行われ、追加購入もされたが、追加直後に登場したシステムファームウェアではOSインストール機能が排除された事により、民生品を利用する最大の利点であった簡単に交換機を購入したり追加調達による台数の追加が難しくなり、計画は中止となっている。


※ちなみに今現在の大抵のコンピューターゲーム機はワッセナー条約に引っかかる性能があるので国外持ち出しの際は通過国にご注意を。


湾岸戦争からアフガニスタンやイラク戦争占領後の混乱までの間は、現代戦はもうハイテク兵器だけでゲーム感覚で決着がつくのではないか?とまで思われていた。


NMKが開発し、ジャレコが販売したSTGに同名のものがある。


関連タグ

湾岸 中東 9.11

パトリオット T-72 CNN 掃海艇 アイオワ級戦艦 F-117

A-10 F-15E AH-64 ゲームボーイ

バブル崩壊


イラン・イラク戦争:中東諸国ではイラン・イラク戦争を「第一次湾岸戦争」と呼び、こちらのアメリカ・イラク間の戦争を「第二次湾岸戦争」としている。

イラク戦争:本戦争後の停戦決議においてイラクに義務付けられた「大量破壊兵器不保持」が履行されているかを確認するための査察に対し、当のイラクが(査察する側の調査方法が変えられた事への反発もあって)再三非協力的な態度を取った事で勃発した戦争。このような経緯から、中東諸国では「第三次湾岸戦争」、その他の地域でも「第二次湾岸戦争」と呼ばれる事がある。


のび太のドラビアンナイト:湾岸戦争終結直後に公開された中世のイラクを舞台とした映画

ガサラキ:序盤において架空の国が舞台となっているが、大量破壊兵器の疑惑から連合軍が派兵されるという湾岸戦争がモチーフとなっている。

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