ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
瀬古利彦とは、日本の元陸上選手、元マラソン選手、陸上競技解説者である。

概要

1956年7月15日生まれ、三重県桑名市出身。


中学時代は野球部に在籍していたが、四日市工業高校進学後に本格的に陸上部へ転向。

早稲田大学教育学部へ進学するとそれまでの中距離走だけでなくマラソンも始め、1977年12月の福岡国際マラソンでは当時日本人最高の5位で入賞、翌1978年の同大会では初優勝を決める。1980年にはモスクワオリンピックの代表に選出されているが、アフガニスタン紛争の一件で日本人選手全員が出場をボイコットしている。


1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表入りを逃し、1988年のソウルオリンピックでは代表入りしても9位止まり。波乱万丈の陸上人生でオリンピックのメダルに縁がなかったものの、マラソンの通算成績は実に15戦して10勝。このうち4回は福岡国際マラソンでの優勝だった。1988年現役引退。


  • 引退後はエスビー食品の陸上部監督、早稲田大学競走部のコーチ、DeNAの陸上部監督などを歴任。陸上競技解説者としての活動も行っている。
  • 息子は4人。長男はホジキンリンパ腫を患い、闘病生活を綴った「がんマラソンのトップランナー」を文藝春秋より出版、2021年に早世している。次男は元プロ野球選手山本昌広(山本昌)の娘婿。

自己ベストタイム

3000m7:54
5000m13:24
10000m27:42
20000m57:48
25000m1:13:55
30000m1:29:18
マラソン2:08:27

関連タグ

陸上 マラソン 箱根駅伝 早稲田大学

概要

1956年7月15日生まれ、三重県桑名市出身。


中学時代は野球部に在籍していたが、四日市工業高校進学後に本格的に陸上部へ転向。

早稲田大学教育学部へ進学するとそれまでの中距離走だけでなくマラソンも始め、1977年12月の福岡国際マラソンでは当時日本人最高の5位で入賞、翌1978年の同大会では初優勝を決める。1980年にはモスクワオリンピックの代表に選出されているが、アフガニスタン紛争の一件で日本人選手全員が出場をボイコットしている。


1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表入りを逃し、1988年のソウルオリンピックでは代表入りしても9位止まり。波乱万丈の陸上人生でオリンピックのメダルに縁がなかったものの、マラソンの通算成績は実に15戦して10勝。このうち4回は福岡国際マラソンでの優勝だった。1988年現役引退。


  • 引退後はエスビー食品の陸上部監督、早稲田大学競走部のコーチ、DeNAの陸上部監督などを歴任。陸上競技解説者としての活動も行っている。
  • 息子は4人。長男はホジキンリンパ腫を患い、闘病生活を綴った「がんマラソンのトップランナー」を文藝春秋より出版、2021年に早世している。次男は元プロ野球選手山本昌広(山本昌)の娘婿。

自己ベストタイム

3000m7:54
5000m13:24
10000m27:42
20000m57:48
25000m1:13:55
30000m1:29:18
マラソン2:08:27

関連タグ

陸上 マラソン 箱根駅伝 早稲田大学

コメント

コメントはまだありません

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

おすすめ記事

無料で読めるpixivノベル人気作品

  1. ヒロインに婚約者を取られるみたいなので、悪役令息(ヤンデレキャラ)を狙います

    読む▶︎
  2. 僕たちは番じゃない

    読む▶︎
  3. 悪女(と誤解される私)が腹黒王太子様の愛され妃になりそうです!?

    読む▶︎

pixivision

カテゴリー