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玄広恵探

げんこうえたん

玄広恵探とは今川氏親の三男である。一説では今川良真(いまがわよしざね)とも言われた。後に弟・義元と争ったが敗れて自刃した。(1517年-1536年)
目次 [非表示]

生涯

父は今川氏親であり象耳泉奘今川義元氏豊の異母兄。氏輝、彦五郎の弟に当たる。


象耳泉奘と今川義元(当時栴岳承芳)と同様早くに出家して花倉の遍照光寺の住持となる。


1536年、今川家当主の氏輝とその次弟・彦五郎が相次いで急死したので家督を継ごうとしたが、氏輝の母である寿桂尼や太原雪斎が弟・今川義元を指した為に後継者になれなかった。


しかし恵探の母の父である福島正成(北条綱成の父)はこれに反発し、恵探を後継者に指した。恵探は還俗して今川良真と名乗り、花倉城を本拠地とした。


そして久能山で挙兵し、倍の兵力で今川館攻めを行ったが、義元の采配もあって今川館の守りは堅く結局襲撃は失敗。


その後、義元が北条家と組むと次第に劣勢に立たされ、支城である方ノ上城が岡部親綱(岡部正綱岡部元信の祖父で岡部久綱の父。)に落とされると花倉城を攻められる。良真は抵抗するが、支えきれず逃亡したが、最後は瀬戸谷の普門寺で自刃した。享年19歳。


今川良真と今川義元の兄弟が争った戦いを「花倉の乱」と呼ぶ。


逸話

桶狭間の戦い直前に義元の枕元に現れて桶狭間の奇襲の旨を伝えた。

しかし義元はそれを自分を貶めるための罠とし信じず、その結果桶狭間の戦いに至った。


現代の評価

特に知られていない。

今川義元や、花倉の乱を知っていても負けた方はあまり知られていない。

そのせいで創作物にもあまり出てこない。(出ててもモブだったりやられ役だったり)


創作物での玄広恵探

信長の野望シリーズ


天道PKで初登場したが、本人の能力は微妙。イベントでは玄広恵探名義で出るが、ノーマルプレイ時は今川良真名義で登場する。


戦国大戦


「久しぶりだなァ! 我が弟よ!」

メイン画像の姿で実装。

今川家に所属する槍足軽でレアリティはC。

1,5コストで武力5統率5伏兵持ちのバランス型の優秀なスペックをした妨害持ちの槍足軽。

計略「戦禍の調略」は士気4の妨害計略で、敵の武力-3統率-5をする代わりに最大士気に-2される計略。

最大士気-2があってもここぞの場面では活躍するには十分であり特に終盤の攻防では力を発揮しやすい。


英傑大戦

「今川の当主に相応しいのは

        この玄広恵探だ」


紫の勢力所属、レアリティのNの1.5コストの槍兵、武力5、知力6伏兵持ちのスペックで参戦。

戦国大戦の時と同じで非常に優秀なスペックをしている。


計略「禍根の調略」は士気4の妨害計略。

武力を下げる妨害計略であるがやや特殊な計略に入る。

敵部隊の武力を-3し、自身以上の知力を持つ敵部隊ならさらに-4、合計で-6するというもの。


その為、織田信長の「天下布武」や武田信玄の「風林火山」といった知力が上がる大型号令に対する牽制役としては最適である。

一方で知力の上がらず極めて高い武力上昇値を持つ宇佐美定満の「散華の陣」や鶴見中尉の「死神の革命」といった相手は苦手としている。

特に長尾政景の、大幅な知力低下を代償に高い武力上昇値を誇る「宿業の采配」との相性は最悪。

また知力が高い相手程武力を下げるが、裏を返せば効果時間が短くなるという弱点があり、他の妨害計略と比べると総じて使いにくい。


総じて、スペックの良さからデッキにパーツ要員として組み込み、戦果が見込める際に計略を使用するのが良いだろう。


ちなみに計略対象に今川義元が含まれる場合、計略台詞が変化するが

兄より優れた弟は・・・認めねぇ!」・・・実に世紀末な台詞。

戦国大戦でも使われた台詞だが、誰でも弟認定していた昔と違って英傑大戦では義元限定。

義元のデフォルト知力は7のため、計略効果は-6の方が発動する。

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