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鄭成功

ていせいこう

明朝の軍人、政治家。台湾の開祖(開発始祖)として台湾人の精神的支柱となっている。

1624年に、貿易商人及び海賊の頭目でもあった明人父親鄭芝龍と平戸藩士・田川七左衛門の娘である日本人母親田川松の間に、日本平戸(肥前国松浦郡平戸島)で生まれる。


7歳で父親の故郷である福建に渡り、南京で勉学に励んだ。明朝に満州族による滅亡後、唐王に仕えて明朝復活に協力。

この時、南明皇帝・隆武帝より明皇帝の国姓「朱」を賜り、この時を「森」から「成功」に改めた。


隆武帝の軍勢に参加した鄭父子は火縄銃と鎧を装備した日本式の軍を率いて戦ったが、明軍は破れて隆武帝は殺され、鄭芝龍は清に投降した。父が投降するのを成功は泣いて止めたが、芝龍は翻意することなく、父子は今生の別れを告げる。


父と別れた成功は、従兄弟達を殺して鄭一族の海軍を掌握し、貿易の実権を握って軍資金を集め、江戸幕府にも請援を求めた。兵を集めて再び北伐に乗り出した成功の軍は途中の城を簡単に落としながら進むが、南京攻略に敗れ、勢力立て直しを図って明朝遺臣とともに台湾に渡った。


1661年、台湾を支配し植民地化を進めていたオランダ人の根拠地ゼーランディア城を陥落させる。そして台湾からオランダ人を追放し、現在の台南市を本拠地とする。台湾を開拓し明朝復活を図ろうとしたが、1662年死去。子の鄭経が後継者となり、3代22年に渡って台湾に明の遺民による政権を維持した。


オランダ軍を討ち払い台湾の漢民族支配を確立したことから台湾・中国では孫文蒋介石に並ぶ国民的英雄とされ、日本でも人形浄瑠璃歌舞伎の『国姓爺合戦』で知られる。

※ただし、「国姓爺合戦」は「呉三桂が明の皇帝の遺児を救った忠臣」「明を侵略した『靺鞨人(マッカツじん)』が鄭成功や明の遺臣達に駆逐され、明が再興する」という「ここまで史実と違えば逆に清々しい」レベルの内容である。


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