ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

金沢カレー

かなざわかれー

金沢カレーとは金沢市やその周辺自治体に多く見られるカレーの一つである。

概要

石川県、特に金沢において提供されるカレーにはほかのカレーと異なる特徴が見られた。主に「濃厚なルーがご飯に覆いかぶさるように掛かったソースのかかったカツカレー」で「付け合わせのキャベツ」があり、さらに「食器が金属製」というものである。

金沢カレーはもともと国鉄の外郭団体「鉄道弘済会」が運営していた「ニューカナザワ」というレストランで生まれた。このレストランは国鉄分割民営化によって閉店に追い込まれた。しかし、ここで働いていたシェフたちによって味が受け継がれることとなった。


カレーのチャンピオン

ニューカナザワ初代チーフで、金沢カレーの原型を作ったといわれる田中吉和氏が「洋食タナカ」を1961年に設立した。その後金融機関に勤めていた岡田隆という人物との共同経営に移行し1971年に「ターバンカレー」となったものの2年後には共同経営を解消し、田中吉和氏側が「タナカのターバン」と名乗ったのち現在の「カレーのチャンピオン(株式会社チャンピオンカレー)」となった。

※なお、ターバンカレーの商標は岡田氏側に残されたがレシピは調理に専念していた田中氏側が持っており、経営に専念していた岡田氏側には引き継がれなかった。よって現在のターバンカレーやそこから分かれたゴーゴーカレーはニューカナザワからの伝統を引き継いでいない。


インデアンカレ

1964年、ニューカナザワに和食担当として勤めていた野村幸男氏が、同じくニューカナザワに勤め田中吉和氏からレシピを受け取った今度忠氏を招いて「インデアンカレー」が設立された。一時店舗を閉鎖し、ルーの製造のみに専念していた時期があったが現在は店舗営業を再開している。


キッチンユキ

1966年、同じくニューカナザワで2代目チーフとして勤めていた宮島幸雄氏が先に独立したかつての同僚達の支援の下「キッチン・ユキ」を設立。この設立時にレシピを引き継いだ。洋食店としての路線を続けており、ハントンライスも提供している。


カレーの市民アルバ

上述4店全てに関わった今度忠氏が1971年に「洋食店アルバ」を設立、その後「カレーの市民アルバ」となる。松井秀喜選手が学生時代に通った事でも有名。全国展開を考え、親交のあった加賀電子創業者の塚本勲氏の協力を経て関東に進出した。


これより下に記載するものは、以上の4つとは異なり本家本元である「ニューカナザワ」の伝統を一切引き継いでいない。


カレーハウス・ターバン

先述の通り田中吉和氏と「ターバンカレー」を共同経営していた岡田隆という人物が1973年に共同経営を解消した際、ターバンカレーの商標を保持し続け岡田氏が有していた片町にて経営を続行したのがカレーハウス・ターバンである。しかしレシピは田中氏が有しており、経営続行に当たって、岡田氏側はかつてのカレーのスタイルを再現しようとした。それが現在ターバンで出ているカレーである。それでも味はそれまでのものとは変わっている。2005年に経営不振から清算会社化に追い込まれたが店舗経営自体は続行している。


ゴーゴーカレー

本社は東京にあるが石川の企業でありゴリラの顔をマークにしている。数字の「5」にこだわりがある。

ちなみに救急戦隊ゴーゴーファイブとはなんも関係ない。

ターバンカレーで修行していた人物がターバンの姉妹店として設立したものであり、レシピもカレーハウス・ターバン側の系譜にある。


外部リンク

カレーのチャンピオン

カレーのチャンピオンサイト内の「金沢カレーの歴史」

インデアンカレー

キッチンユキ

カレーの市民アルバ(加賀電子子会社KGF担当サイト)

関連記事

親記事

カレー かれー

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 34172

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました