第三次ソロモン海戦において駆逐艦夕立に搭乗。単艦で米艦隊に突撃し、至近距離から敵軍の旗艦含む多数の艦をフルボッコにするという頭のおかしい戦果を叩き出した挙句、敵味方からの多数の命中弾を受け(夜半の乱戦だったため)、夕立が航行不能になっても即席の帆を作ってなおも戦闘続行を試みるという前代未聞の行動に出る。(白旗と紛らわしいものを掲げるのは戦時国際法違反であり、乗員退去後の夕立は激怒した重巡「ポートランド」に撃沈された)
五月雨に救助され生還するも、駆逐艦大波の艦長として再び出撃。セント・ジョージ岬沖海戦において米艦隊の待ち伏せレーダー雷撃を受け、艦と運命をともにした。戦死した際は駆逐艦艦長としては異例の二階級特進の栄誉を受けた。