概要
父は曹操に仕えて武の功績を残したと言われる「文稷」。子は「文鴦」「文虎」。
曹真の子の曹爽とは、同郷と言うことで仲が良く、魏の皇帝曹叡が、諸葛亮が没して最大の敵がいなくなった事から放蕩を始めた後に若くして死に、後を継いだ幼帝曹芳の補佐として曹爽が実権を握ると、廬江太守に出世。
彼は武勇に優れていたが、諸葛誕には嫌われ、王基からは辺境を任せるには不適当な人物だと酷評されていたが、曹爽一派が司馬懿のクーデターにより三族皆殺しとなった後も揚州に残り、後には揚州刺史・前将軍となった。
253年には諸葛恪が軍を率いて攻め込んできた際、毋丘倹や張特らと共にこれを防ぎ、呉軍内に疫病が蔓延した事もあって諸葛恪の軍を破る。
ところが、曹芳が司馬師により強制退位させられると、誼を通じていた毋丘倹と共に、連名で司馬師を弾劾する皇太后の詔勅を偽造して反乱。息子2人を連れて加勢した。
司馬師の討伐軍に対して文鴦が奮戦するものの、魏朝の忠臣の尹大目が、司馬師がまだ目の下の瘤を手術した経過が悪く、静観していれば趨勢が変わると伝えようとしたものの、直接的に伝えると自身にも危険が及ぶ事を考慮した尹大目が、文欽の前で間接的に伝えようとしたものの理解できず、文欽は尹大目を攻撃しようとして撤退させてしまう。
更には息子との挟撃を図ろうとするが、逆に道に迷って挟撃に失敗するという失態を犯し、文鴦の奮戦で司馬師の追撃を振り切ったものの敗れて、毋丘倹の援軍として北上中だった呉軍に合流して、親子三人共に呉の国へと落ち延びた。
当時呉の実権を握っていた孫峻・孫綝の二代には信用され、先に魏から降っていた唐咨と共に呂拠追討の任を与えられたりしていた。
司馬師が死去すると、後を継いだ司馬昭に対して諸葛誕が寿春で反乱を起こすと、司馬昭の討伐軍に城を包囲された諸葛誕の救援要請をうけた孫綝より、唐咨や仲の悪かった朱異、全端ら全一族そして息子2人と共に援軍として諸葛誕の救援に向うことになった。
しかし前述の通り、諸葛誕に嫌われていた事が災いしてか最後は意見の対立もあって諸葛誕に倒された。
息子2人は諸葛誕の死後、再び魏に下る事となった。
真・三國無双シリーズ
5はあまり出番が無かったが、6の晋ストーリーにて初登場。司馬一族の専横に怒り、毋丘倹と共に反乱を起こす。(毋丘倹・文欽の乱。専用のBGMあり)司馬氏の専横は許さないと考えているが、逆に言えば自分達で政権を握ろうとする・・・言わば小悪党である。
7のIFシナリオに至っては息子2人に裏切られる始末である。(次男は戦いの最中に裏切るが。)モブキャラなのに強烈な個性を放つキャラクターの1人になっている。
ちなみに無双ブラストにて無双武将として登場している。