ヨイトマケの唄が生まれた背景
かつて、興行師の手違いで炭鉱の街の劇場で公演する事となった際に当初は乗り気ではなかったが、客席には炭鉱作業員達が安い賃金をはたいてチケットを購入して観に来てくれていた事に衝撃を受け、自身にはその労働者の為の唄が無かった事からヨイトマケの唄が生まれたという。
ヨイトマケとは、まだ重機が多くなかった頃の地ならしの道具として滑車に吊るした大きな槌をロープで大人数で引き、そして地面に叩きつける作業の「ヨイっと巻け」の掛け声から来ている。
また、その作業は日雇い労働者達が集まって行う作業であった為日雇い労働者を揶揄する言葉でもあったらしい。
「父ちゃんの為ならエーンヤコーラ」「母ちゃんの為ならエーンヤコーラ」のそれぞれの掛け声の後にドラムの音がするのは引き上げた槌を地面に落とした音を再現していると思われる。
内容
ある所に日雇い労働者の母親の子供がおり、『ヨイトマケの子供』『土方の子供』といじめられていた。
しかし、子供を育てる為必死に男達に混じって土木工事に携わっていた母の姿を見て強く生きる事を決め、高校・大学を経て今では機械のエンジニアに成長した青年が、苦労して育ててくれた今は亡き母を振り返り、その母に立派に育った姿を見てくれているか!と想いを馳せる物語である。
だが、民放連はかつて『土方』の言葉が含まれているが為に放送禁止歌謡扱いしていた。苦しい境遇の中、肉体労働で汗して育てた母への感謝を綴った青年の唄であるにもである。
紅白にて
華美な衣装を封印し、黒髪の青年の出で立ちで余計な舞台効果を使わずに黒の背景でスポットライトのみの中で美輪氏の熱唱が紅白歌合戦で行われた際、その歌唱力は若い世代にも感動を呼び、改めて美輪氏の凄さを世に知らしめたのである。