ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

日野富子の編集履歴

2016-01-21 20:22:00 バージョン

日野富子

ひのとみこ

室町時代後期の女性。公卿日野家の出身で8代将軍足利義政の御台所。ちなみにメインイラストは煙管をもってタバコを吸っているが、史実では安土桃山時代にヨーロッパから入っており、イラストのようなことは100パーセントありえない。

生涯

公家日野重政の娘として永享12年(1440年)に生まれる。日野家は藤原氏北家の流れにして室町幕府征夷大将軍御台所(正妻)を多く輩出した家系だ。富子も16歳で当時20歳の8代将軍・足利義政の正妻となる。しかし中々男子が生まれず、長禄3年(1459年)に生まれた第1子はその日のうちに死去してしまった。義政の乳母(側室を兼ねていたともいう)として権勢をふるった今参局が呪詛したとされ、激怒した義政は今参局を流罪にし、彼女は流刑先で自殺したとも日野家の刺客に殺されたともいう事件まで起こっている。


かくして後継者問題に頭を痛めた義政は、寛正5年(1464年)に実弟の足利義視を後継者と定めた。間の悪いことに翌年富子は足利義尚を生む。こうして義視の支援には管領の細川勝元ら、富子の支援には有力守護の山名宗全らがついて、斯波氏、畠山氏といった守護家中のお家騒動もこの対立に合流し、応仁元年{1467年)、幕府を二分する大乱、応仁の乱が発生した。乱の最中は、当初中立を守った義政が東軍総大将の勝元に将軍の旗を与えて東軍支持を鮮明にする。このため富子も、夫の義政を従えt・・・義政に従って東軍に属し、邪魔な義視を東軍から追放する。一方で西軍総大将の宗全への影響力も残し、両軍の武将への軍資金貸付による蓄財に励む。義視は西軍の「将軍」として奉じられ、義政には西軍を撃破することも講和を為すこともできず戦乱が長引いた。この大乱が収拾に向かっていた頃の政治は富子が主導していたらしい(後述)。文明5年(1473年)、両軍を指揮していた細川勝元・山名宗全が相次いで亡くなると、争乱も下火になっていったらしい。講和自体も両軍に人脈のある富子が主導していたのかもしれない。


文明9年(1477年)、11年にも及ぶ応仁の乱終結後、義尚は9代将軍となるが、長享元年(1487年)、近江守護・六角高頼による将軍領と将軍家家臣の所領、寺社本所領の横領が発覚、義尚は軍勢を率いて高頼討伐に出陣したが、六角勢のゲリラ戦に苦戦、延徳元年(1489年)、ついに義尚は若くして近江で陣没してしまう。富子は義政と相談して甥に当たる足利義材(義視の子)を後継者に定め、延徳2年(1490年)に義政の死に伴って義材が将軍となる。しかし義材は前将軍の御台所として権力を握る富子と衝突し、富子は細川政元と諮ってクーデター(明応の変)を起こして義材を廃立し、新たに足利政知の子・清澄(後の足利義澄)を新将軍に擁立した。富子はその3年後に死去している。


評価

古来蓄財に励んだ悪妻として悪名高い。幕府の主要な財源の一つに京都へ通じる7つの街道に設けた関所(京都七口関)の税があった。文明10年(1478年)に内裏再建の名分で税を徴収した時、その収入が富子の懐に入っていたことが発覚して一揆が発生している。応仁の乱では両軍の武将に資金を貸付て利潤を稼ぎ、米相場にも投機し、高利貸も行ったとされる。こうして富子が死後に遺した遺産は7万貫(約70億円)に達していたという。


もっとも、富子が自分の享楽に稼いだ財を費やしていたかはいささか怪しい。乱が講和となった頃の当時の僧の日記によれば「上様が酒宴、諸守護大名が余興に明け暮れていられたのは、富子殿が政治をみていたからである」『尋尊大僧正記』という。幕府ばかりか皇室の日常出費や儀式の費用に至るまでも、富子の寄進で成り立っていたともされる(脇田晴子『室町時代』pp.12)。室町幕府の主な財源は土倉やそれらを経営していた寺社からの税、つまりは、商工業からの税収であった。それらの徴税システムが、戦乱の中でどれほど作動していたかは疑わしい。朝廷と幕府を喰わせていくために、頼りにならない夫に代わって富子が金策に奔走していたというのが、実像かもしれない。


登場作品

花の乱:1994年NHK大河ドラマの主人公。演じたのは三田佳子。少女時代は松たか子が演じ、テレビドラマ初出演となった。

戦国大戦:他家(西)足利軍、応仁の乱にて宴SRで登場。勝てる気がしない


関連タグ

藤原氏 日野家 公家 室町時代

室町幕府 御台所 足利義政 足利義尚

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました