概要
1961年、山陽本線電化にともない旅客列車用電気機関車が必要となった。EF58を増備すべきところであったが、すでにEF60系列へと製造は移行していたたため、それを母体としてEF58と同等の能力をもつ車両として18両製造されたのが当形式である。
機構
既に母体であるEF60はツリカケ駆動のMT52モーター搭載に移行していたが、なぜか1世代前のクイル駆動方式を採用のうえ歯車比を高速向けに変更。そのうえで客車への暖房供給用に蒸気発生装置一式を搭載したことで車体長が伸びたことに併せ、側面デザインもエアフィルタを横長に配置するスマートなものへと変更された。
なお、バーニア制御装置・電機子分路再粘着装置は蒸気暖房装置と引き換えに搭載を見送られている。これはEF58と同程度の性能しか求められていなかったためだが、将来貨物用に転用された際には改造でSG関連機器を撤去したうえで搭載する予定であったものの、結局最後まで搭載されなかった。
運用
東海道・山陽本線の旅客列車に運用。初期は東海道ブルートレインに運用されるなど華々しい活躍もあったが、電車化の進展がおよぶにつれて荷物列車など地味な運用に回っていった。また、トラブルの多いクイル駆動装置はのちにリンク式に改造されたものの、内部機器の互換性の低さから完全な貨物用改造も見送られ、徐々にもてあますようになっていく。
間合い運用として瀬野~八本松間の補助機関車運用のための連結自動解放装置が装備されるなどしたが副業の域を出ることはなく、後に補助機関車専用改造を受けさせる計画(改造後は100番代へと改番される予定だった)ものの、先行してEF60 1次形より改造された200番代の失敗により計画はとん挫。
また、蒸気発生装置を搭載していたことから車体の傷みが早く、晩年には腐食して屋根が抜けるなどの重大な故障も発生し、1984年2月改正でその薄幸な生涯を終えた。
現在、4号機がカットボディで広島車両所に保存されている。
200番代
1977年に、老朽化の進んだEF59型に代わる瀬野~八本松間の補助機関車として、当時持て余しつつあったEF60 1次形をベースに改造された車両。重連総括制御にそなえ貫通扉が設置され、1エンド側にデッキと大型緩衝器・自動解放装置を備えるなど全面の印象は一変している。また、EF61と特性を合わせるためバーニア制御装置・電機子分路再粘着装置は撤去されていた。
この区間は22.5‰勾配が長区間続き、そこを高速で通過しなければならないため惰行運転ができず、動力車にとってはじわじわと負担のかかる難所である。 EF61単機で補助機関車運用をするには重量貨物には引張力が足りないため、重連総括制御をおこなうことによって要求を満たそうとしたが、初期に想定されていた1200t重連運用では運用試験の結果ブレーキ時に引張力過剰で脱線の恐れがあることが発覚し、結局は1000t以下の軽量貨物にしか使えない失敗作となってしまい、8両で改造が中止されてしまった。
(200番代と中途半端な番代区分がされていたのは、先にも書いたとおりEF61基本番代を同仕様に改造する計画があったためだが、計画失敗により中止となった)
その結果老朽化したEF59はJR移行直前まで使用されることとなってしまった。JR移行後も軽量貨物限定で運用にあたっていたが、EF67100番代の登場により1991年までに淘汰された。
廃車後は201番が吹田で保管されたが、既に解体済みである。