概要
1940年、ドイツ航空省はジェットエンジンを動力とする航続距離2156kmの高速偵察機の開発を指示した。
それに対し、アラド社は最高速度780km/h、航続距離1995kmの機体を提示した。航空省は開発を認可し、1941年の終わりまでに機体は完成したものの、肝心のJumo004エンジンの開発が難航したことで、完成は1943年までずれ込むこととなった。
その間にドイツの劣勢は目に見えてきたため、Ar234に爆弾架をつけて爆撃機として運用できるよう設計変更が行われることとなった。
設計
当初の開発案は、あくまでも偵察機としてであったことから速度性能優先で開発が行われた。
そのため軽量化を第一に開発されたため、当初は離陸時に車輪を切り離すトロリー式とし、着陸にはそりを使うことが計画された。但し実用型のB型では通常の引込脚とされている。
偵察機仕様で740km/h、爆装状態でも668km/hと高速性能を発揮した。特に偵察機として使われたときは、高高度を700km/h以上で飛ぶAr234を捕捉できる連合国軍機はないという状態だった(速度だけなら自軍のMe262以外捕捉不可)。
一方で爆装は翼下に最大500kgまで、胴体下に1500Kgまでで、それも同時に搭載することはできないため、最大積載量は1500Kgとなっている。フリッツX誘導爆弾やHs293誘導弾の搭載能力付与も検討されたが、実現する前に敗戦を迎えた。
戦歴
1944年6月末までに20機が納入されたことで、訓練などを経て8月2日に初めての偵察任務に投入された。しかしデリケートな機体構造(特にエンジン)は使用できる飛行場を限定させるとともに、生産にも影響を及ぼすものとなってしまった。
結果的にMe262と並んで、実践投入されたジェット機という意味で存在意義は大きかったものの、戦局を覆すことはできなかった。