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東京に生まれる。1942年、東京帝国大学独文科卒業。在学中から新演劇研究会に参加する。卒業後、応召。戦後、復員して東大独文科助手ののち、1950年、東大教養学部助教授。1954年、ハンブルク大学日本語講師として渡独、ヨーロッパ各地を回り、1956年帰国。同人雑誌「方舟」の編集長を務め、評論家・ドイツ文学者として翻訳にも健筆を振るい、将来を嘱望されたが、1960年7月、教授昇任の後、8月、42歳の誕生日直前に死去。その最期の様子は友人であった加藤周一の『続羊の歌』に詳しい。今も「原田ギジン」として話題に上ることがある。

国鉄車内チャイムのアルプスの牧場(車内チャイム)を作詞した。

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原田義人の編集履歴2018/08/16 21:41:12 版