ルチオ・フルチ
るちおふるち
1927年ローマ生まれ。映画製作者を志してローマ実験映像センターに学んだ。
映画学校の試験で映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』について聞かれた際に「あんなのジャン・ルノワール映画のパクリじゃないですか(意訳)」と言ってのけ、審査員たちを唖然とさせたが、審査員の一人でその映画を撮った当人であり且つルノワールとは面識があるルキノ・ヴィスコンティに「物怖じしないその姿勢こそ映画界には重要だ」と評価され合格になった逸話がある。
のちに、イタリア式コメディで名を馳せた映画監督ステファーノ・ヴァンツィーナに師事した。1959年に監督としてデビューし、1970年代後半までコメディーとサスペンス映画(ジャーロ)で一定の評価を得た。
日本ではマカロニウエスタン『真昼の用心棒』(1966)で知られるようになる。
1979年にゾンビ映画『サンゲリア』を監督したことによってジョージ・A・ロメロと双肩を成すゾンビ映画監督、もしくはゴアの帝王と称されるようになる。
1996年、ダリオ・アルジェントとの合作『肉の蝋人形』を監督する予定だったが、糖尿病の合併症により死去した。
相当性格に難があったようで、長年一緒に仕事をした脚本家のダルダーノ・サケッティは彼についてはボロクソに非難している。
ロメロの『ゾンビ』に便乗する形で『サンゲリア』を『Zombi 2』と続編のように公開したため、続編が作れなくなったアルジェントに紙面で苦情を述べられたが、「ゾンビは元々ブードゥー教の伝承、お前のオリジナルじゃないから権利をどうこう言う筋合いはない」と返した。
その『ゾンビ』もロメロが作中で込めた「消費社会への風刺」といった作風に「ああいったテーマを映画に込めるのはちゃんとした娯楽作品を作れない人間のやることだ」と酷評している。ロメロはともかく(昨今の映画に関しては)あながち間違いでもないが、でもこう言った当人がちゃんとした娯楽作品になっているかというと…。
反骨精神が強く、愛娘アントネッラも「自分の人生が誰かにコントロールされようとしていると感じたら、あらゆる手を尽くして猛烈に反抗するような人。不平不満は多いし、彼のブラック・ユーモアは自分も含めて誰にも理解が出来ない」と答えている。
厳格なカトリック教徒の両親のもとで生まれた為か、カトリック教会や欧米の古い因習を批判する内容の映画を何度か撮っており、カトリック教会から目をつけられていた模様。
本人は「私は神を捜し求めながらも、疑問を抱いている人間だ」「自分の言動は内面の脆さの裏返し」と述べている。
内容に関係なくやたらと残酷な描写、特に目をえぐられるシーンが多い。
彼の撮ったホラー映画は延々と脈絡のない残酷シーンが多いが物語に内容がないと言われることが多い。
晩年の作品は酷評されているが、大病を患っており生活のために割り切って仕事をしていたという。彼は晩年の作品の出来の悪さを認めながらも、「それでも仕事があるだけ幸運だと思っていた」と語っている。
ただし彼が『サンゲリア』の一歩前に撮った最後のマカロニウェスタン『シルバー・サドル 新・復讐の用心棒』は興行収益こそよくなかったものの、物語は高く評価されており、主演のジュリアーノ・ジェンマにとっても「自分が主演の映画で最も愛した映画の一つ」と評価している。
- 真昼の用心棒
- マッキラー
- シルバー・サドル 新・復讐の用心棒
- サンゲリア
- ビヨンド
- 墓地裏の墓
- 地獄の門
- 怒霊界エニグマ