南部晴政(史実)
三戸南部氏出身の当主・南部安信の長男として生まれる。1539年、家臣の赤沼備中に居城を焼き討ちされる。その後上京し、当時の将軍足利義晴から一時拝領して晴政と名乗る。
1541年に当主となると、まず自分に反抗した家臣を討って居城の三戸城を再建。さらに当時分裂していた南部氏を統一して周辺の斯波氏、安東氏などと争う。
優れた武勇で所領を拡大し、有力一族の家臣団編入にも成功。織田信長と親交を深めるなど外交能力もあり、『三日月の 丸くなるまで 南部領』と謳われる南部氏の最盛期を現出した。
長らく跡継ぎに恵まれず、後継者として一族の南部信直を養子に迎えていたが、50を過ぎて長男晴継を授かる。
実の子に後を継がせたい晴政は信直を疎むようになり、両者の関係は急激に悪化する。
さらに一族で当時大浦姓を名乗っていた津軽為信が謀反を起こし、その鎮圧に失敗する。
晩年はこれら家中の不和や謀反に悩ませられた。
1582年に死去(享年66歳)。晴継が後を継いだ。
ちなみに一般には病死とされるが、「実際の没年は1572年であり、信直の謀反により晴継共々討ち滅ぼされたが、謀反の事実を隠す為に信直側によって没年を10年ずらされた」という説が存在する。
創作物における南部晴政
南部晴政(戦国BASARA3)
概要
霊場である恐山を守っている武将。
不思議な呪文を使い、「南部黄泉夜行」と呼ばれる力で死亡した亡者をあの世から現世へと喚び出せる。それなんてバイオハザード?
「亡者」という言葉がどう聞いても「もんじゃ」にしか聞こえない。
仲間武将としては、「プレイヤーを一度だけ蘇らせる」という技能を持ち、非常に重宝する。
モーションは忍者のものを流用している。