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役小角の編集履歴

2014-12-28 17:40:13 バージョン

役小角

えんのおづの

古墳・飛鳥時代に存在したと言われる修験道の開祖。 役行者、役優婆塞とも呼ばれる。

役小角とは、日本史上の人物の一人である。

出身:大和国

別称:役行者、役優婆塞、神変大菩薩

概要

修験道の開祖とされる在家僧侶であり最初の山伏

ゆえに役優婆塞(剃髪せず、世俗と縁を切っていない仏教信者)とも称される。


実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きく、その記録書のほとんどが当時世間で流れていた話(説話)を取りまとめたものが多く、荒唐無稽なものが多いため、詳しい来歴については不明である。


ただ、現在でも天河大弁財天社大峯山龍泉寺など、多くの修験道の霊場に役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承があり、修験道のみならず日本各地の仏教寺院をはじめとして信仰の対象とされ、近畿地方を中心とした各地で彼の足跡を見ることができる。


経歴

舒明天皇6年(634年)に大和国葛城上郡に、三輪氏の系列を組む神官の家に生まれる。


幼くしてその天才ぶりを発揮して山岳修行をはじめ、17際にして飛鳥元興寺の高僧から『孔雀明王経』を教授され、紀伊山地熊野にて30年にも及ぶ山岳修行に突入する。


その中で金峯山にて蔵王権現を感得し、日本古来の山岳信仰と仏教とを織り交ぜた修験道の基礎を築きあげ、近畿を中心として日本各地を行脚し修行の日々を送ったという。


その後、様々な呪法を身につけて人々を助けるも、弟子の韓国連広足の裏切りによって謀反人に仕立て上げられ、文武天皇3年(699年)に伊豆への流刑に処される。

二年後の701年に大赦によって流刑から解放され、その年の6月にこの世を去った。


彼の修行場の多くは修験道の聖地をされ、今なお日本に山岳信仰と日本宗教に強い影響を残している。


伝説

空海僧正、安倍晴明に並んで多くの伝説を持つ宗教家の一人(清明は正確には役人だが)であり、悪霊を払い、また使役したという伝説においては先の二人の大先輩に当たる。


特に前鬼後鬼(もしくは赤目・黄口)の夫婦を従えたことは有名であり、役小角像の多くにこの夫婦鬼の像が付属している。


そのほかにも「日本の神々と語り、彼らの助力を得たり使役したりしていた」・「中臣鎌足の病を癒した」、「流刑中も空を飛んで富士山で修行していた」・「死んだのではなく、仙人となって母親とともにへと飛んで行った」など、彼にまつわる伝説は非常に多い。


関連タグ

日本史 飛鳥時代 奈良県

修験道 山伏 蔵王権現 霊能力者 仙人

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