曖昧さ回避
クリーブランド級軽巡洋艦「クリーブランド」
クリーブランド級軽巡洋艦の1番艦。艦名はクリーブランド市に由来する。
海軍軍縮明けに計画された。主砲、対空兵装、レーダーが充実した強力な艦で、雷装は無かった。
性能諸元
排水量 | 基準:11,800t、満載:14,131t |
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全長 | 186m |
全幅 | 20.2m |
機関 | B&W式ボイラー×4、GE式蒸気タービン×4 |
最大出力 | 100,000馬力 |
最大速力 | 32.5kt |
航続距離 | 11,000浬(15kt) |
乗員 | 1,335人 |
兵装 |
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艦載機 | SO3C水上機×4 |
GFCS | Mk.34(主砲)×2、Mk.37(両用砲)×2 |
艦歴
1937年、ロンドン海軍軍縮条約とワシントン海軍軍縮条約が失効し、アメリカ海軍の保有制限も解除された。
1938年、第2次ヴィンソン海軍法による軽巡洋艦「クリーブランド級」が計画され、その1番艦として「クリーブランド」が建造される事となった。
1940年7月1日、起工。
1941年11月1日、進水。
1942年12月8日、日本が英米に宣戦布告し、太平洋戦争が始まる。
6月15日、就役。
10月10日、北アフリカへ向かう。
12月5日、ソロモン諸島を目指し、太平洋へ向かう。
1943年3月4日、ビラ・スタンモーア夜戦で日本海軍の駆逐艦(峯雲、村雨)を撃沈。
11月1日、ブーゲンビル島沖海戦に参加。
1944年6月19日、マリアナ沖海戦では第58.3任務群に属した。
1945年2月9日、スービック湾に到着。フィリピン近海で作戦行動。
7月16日、中城湾(沖縄県)に到着。東シナ海と黄海の掃海攻撃を行うが、日本軍艦艇はほとんど見当たらなかった。
8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し降伏。
9月9日、沖縄を出航し、占領支援任務、連合軍捕虜輸送支援を行う。
1947年2月7日、退役。
1960年2月18日、スクラップとして売却。