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フィリピン

ふぃりぴん

東南アジアに位置する島国。
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概要

首都はマニラ。

国名は、スペインのフェリペ皇太子(後の国王フェリペ2世)にちなんだもの。

現在の首都マニラのあるルソン島には古くから中国琉球インド等との貿易拠点が置かれ、マレー商人経由でイスラム教も伝わっていた。
また、中国の記録には南宋の皇族がモンゴル帝国から逃れ、この地に「呂宋國(るそんこく)」を興したという記述があり、現在の島名になったともいわれる。

1521年、スペインに発見されると植民地化が進行、その統治下において幾度となく反抗が繰り返されていたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまっていた。
しかし19世紀末、フィリピン独立の父と呼ばれるホセ・リサールによって独立運動が本格化。
そして1898年、米西戦争が勃発するとアメリカ合衆国はスペインからフィリピンを取り上げて自らの植民地にすることを目論み、エミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため彼らを支援した。
そして1899年にパリ条約が結ばれるとフィリピン共和国が建国されたが、米西戦争の戦勝国であるアメリカ合衆国はこれを認めずにフィリピンの植民地化を断行した。
当然、フィリピン共和国はこれに猛烈に反抗して1899年にアメリカとの間に米比戦争が勃発するが、60万人のフィリピン人がアメリカ軍により無残に虐殺される結果に終わり、アギナルドは逮捕されて共和国は崩壊。フィリピンは旧スペイン植民地のグアムプエルトリコと共にアメリカの下で過酷な植民地支配を受けることとなった。
その後、アメリカ議会は1916年ジョーンズ法で自治を認めフィリピン自治領が成立。1934年にはアメリカ議会はタイディングス・マクダフィー法で10年後にフィリピンの完全独立を認めることを約束した。

1941年、第二次世界大戦中の12月に、日本が米軍を放逐しマニラに上陸。1942年にはフィリピン全土を占領。日本軍は地元民衆の求めに応じて医療活動を行った。

しかし、勝利に酔う暇も無く、投降してきた実に7万人を超えるおびただしい数の敵兵が捕虜となり、日本軍にはこれだけ大人数の捕虜を護送するだけのトラックがなかったため、バターン要塞から食糧補給が可能な地点まで100kmにわたって徒歩移動させなければならなかった。
予想だにしなかった人数から、捕虜と自軍兵士を多数死亡させてしまい、後に『バターン死の行進』と呼ばれる事件が起きている。しかし、行進の終着点であるサンフェルナンドには、北方44㎞に位置するカパスまで敷かれている鉄道があり、捕虜たちはここからは汽車で捕虜収容所があるカパスまで護送されていた。

アギナルドやアルテミオ・リカルテ将軍などの独立運動家は日本軍への支持を表明。これと戦前のアメリカとの独立の約束を受けた日本はフィリピンの独立を支援を行い、1943年、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が成立させた。
1943年(昭和18年)には東京にて開催された、アジアから欧米列強諸国による侵略植民地化を退けることを提唱した大東亜共栄圏の志を同じくする日本とアジア6ヵ国(中華民国・満州・タイ・ビルマ・フィリピン・インド)の代表により「大東亜共同宣言」が採択された「大東亜会議」に、ラウレル大統領もフィリピン代表として参加している。

しかし、フィリピンの生む莫大な利権を取り上げられたアメリカもこの状況には黙っているはずもなく、フィリピン国内の米国の傀儡である抗日利得ゲリラを支援し、日本軍や親日系組織との抗戦を煽った。そして多くのフィリピン人がアメリカ合衆国との戦いに巻き込まれ、米軍日本軍が潜む建物に徹底的な砲爆撃を加え、また無差別爆撃や艦砲射撃をためらわなかった。結果として、おびただしい数のフィリピン人が巻き添えとなり、1945年9月のアメリカによるフィリピン再奪回までの間にフィリピン人死者数は110万人を超えたと言われている。

1945年に日本が敗戦すると、独立を失い再びアメリカの統治下に戻ることを余儀なくされることとなったフィリピンだったが1946年のマニラ条約により、遂に戦前の約束を果たす形でフィリピン第三共和国として独立を果たした。

複雑な歴史背景から、スペイン・アメリカ文化の影響が色濃く、人名もスペイン系(ホセフェリペマリアアントニオなど)と英語圏の名前が混在しており、アジアでも希有なキリスト教カトリック)国である。
南部ミンダナオ島地区ではイスラム教勢力との内戦が続いてたが2015年成田当時のアキノ大統領と和解。
経済発展著しい東南アジアにあって長らく経済が伸び悩んでいたが、近年は順調な経済成長を続けている。

スペイン植民地時代からの大地主の家系が現在でも権力と富を握り、歴代の大統領も大地主の家系であることが多く、小作人層への弾圧事件も時折発生する。
こうしたこともあって現在でも貧富の格差はかなり大きいが、2016年に就任したロドリゴ・ドゥテルテ大統領は庶民(父は法律家)出身のため、格差是正に期待を持たれている。

親日国

アジアの中でも、欧米文化の影響が強い国で、親欧の気風が強く、反日国と思われがちだが、実はそうではない。

スペイン侵攻と前後して日本の商人呂宋助左衛門」が通商で巨万の富を得たために多くの日本人がルソンに来航した。
大戦時には神風特攻隊が、フィリピンでは現地の人々に大変尊敬されており、1974年に、当時のマバラカット市長に、神風特攻隊慰霊碑の建立を進言した、ダニエル・H・ディゾン氏は、中島正元航空隊飛行長や猪口力平元航空艦隊参謀の協力を仰ぎ、マバラカット飛行場跡地に慰霊碑が建設された。
また、ディゾン氏は画家で、『フィリピン・カミカゼ記念協会』の会長でもあり、自宅には自らが描いた、敷島隊の5人(関行男大尉・谷暢夫一飛曹・中野磐雄一一飛曹・永峯肇飛長・大黒繁男上飛)の肖像画や、日本海軍の貴重な品が展示してある。

80年代以降は日本文化の輸入が盛んになり、特にロボットアニメ「超電磁マシーンボルテスV」は大ヒットし、独裁政権が崩壊して民主化したのちに堀江美都子が国賓待遇で招かれた 。

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