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概要

東南アジアに位置する国家で、多数の島々で構成されている。
首都はジャワ島のジャカルタ
観光名所としてバリ島が有名。
インドネシアのINAXは国のコードがINAであることから同表記の旧ロゴを未だに使っている。
最近では、日本鉄道車両の第二の就職先(ジャカルタ近郊の通勤輸送用として)となりつつある。
(都営地下鉄東急JR東京メトロ東葉高速鉄道)

東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主とされ、本部もインドネシアの首都ジャカルタにある。
ただでさえ人口の多いアジアの中でも特に人口が多い国であり、世界有数の人口を誇る。
中東の宗教と思われがちな日本のイスラームイメージからすると意外に思われるが、世界最大のムスリム人口を抱えるイスラーム大国である。

歴史

王国時代

のちにインドネシアとなる地域に住んでいたマレー系の人々は、紀元前1世紀頃から来航するインド商人の影響を受けてヒンドゥー教文化を取り入れ、5世紀頃から王国が建国され、諸王国はインド中国をつなぐ中継貿易の拠点として栄え、シュリーヴィジャヤ王国クディリ王国シンガサリ王国マジャパヒト王国などの多くの大国が興亡した。

ヒンドゥー教文化と同時に仏教文化も栄え、ジャワでは8世紀前葉に、古マタラム王国シャイレーンドラ朝(8世紀-9世紀)が建国され、シャイレーンドラにより8世紀末から9世紀初めにジャワ島の中部には、底部の一辺が120m、高さ約42mという巨大な大乗仏教の石造ストゥーパであるボロブドゥール寺院遺跡が建設された。

カンボジアベトナム南部のチャンパ王国まで遠征したという説があるが、もともとインドネシア半島にいたオーストロネシア系の人々を指すとする見解が近年は有力である。 12世紀以降はムスリム商人がもたらしたイスラム教が広まり、人々のイスラム化が進んだ。

植民地時代

16世紀になると香辛料貿易の利を求めてポルトガルイギリスオランダが相次いで来航し、17世紀にはバタヴィア(ジャカルタ)を本拠地としたオランダ東インド会社による覇権が確立された。
オランダ人は18世紀のマタラム王国の分割支配によりジャワ島、19世紀のアチェ戦争によりスマトラ島をほとんど支配するようになり、この結果1799年にオランダ東イン ド会社が解散され、1800年にはポルトガル領東ティモールを除く東インド諸島のすべてがオランダ領東インドとなり、ほぼ現在のインドネシアの領域全体がオランダ本国政府の直接統治下となった。

人口のわずか0.5%のオランダ人が、インドネシア全生産額の65%を独占し、オランダの国家予算の3分の1を占め、オランダはインドネシア原住民を奴隷民族と見なし、教育の機会を与えず愚民化政策を行った。
インドネシア国民が結束しないよう320種あった種族語をまとめた共通語を作ることを禁じ、集会や路上で現地人が三人以上で立ち話をするこも禁止され、これらを破った者は反逆罪として処罰されていた。

また、一部の現地人をキリスト教に改宗させて優遇し、警察官軍人に登用することで、各民族の族長に通じるようにし、族長にその民族を治めさせて間接統治を行い、地方では各地のスルタン(士爵)を使って間接統治し中間層にはオランダ人とインドネシア人の混血児を作るなど、様々な民族の分断政策を実施した。
支配者のオランダ人と最底辺の原住民の間に華僑(中国系移民)を置き、支配機構に寄生させて流通経済をさせて搾取の批判が中国人に向くようにした。

19世紀になると、オランダ本国による植民地の直接統治が始まって搾取がさらに強まり、悪名高い強制栽培制度が導入され、植民地政府が指定する作物栽培が優先されたため、農民の生活は苦しく米作りは後回しにされ、19世紀半ばには中部ジャワで多数の餓死者を出した。

オランダによる過酷な植民地支配下で、20世紀初頭には東インド諸島の住民による民族意識が芽生えはじめ、1927年にはスカルノによるインドネシア国民党が結成され、1928年に「青年の誓い」が行われた。インドネシア国民党の運動は民族の独立(ムルデカ)を掲げ、青年の誓いでは唯一の祖国・インドネシア、唯一の民族・インドネシア民族、唯一の言語・インドネシア語が高らかに宣言された。
しかし、インドネシア共産党が1927年末から1928年にかけて反乱を起こしたことで、オランダ植民地政府により弾圧され、スカルノやハッタが主導する民族主義運動は非合法化された。

解放

第二次世界大戦において、オランダの植民地支配が1942年の日本軍の東インド一帯への侵攻によって瓦解し、インドネシアは日本陸軍今村均中将率いる軍政下に置かれ、台湾の保護統治のノウハウをインドネシアに応用した。
日本は、オランダ植民地政府により軟禁されていたスカルノやハッタなどの民族主義活動家を解放して協力体制を取り、さらにインドネシア人を現地官吏に登用したほか、「インドネシア」という呼称を公の場で使用することを解禁した。

解放後に現地人を教育するべく、官史養成学校師範学校農林学校商業学校工業学校医科学校商船学校などの様々な学校を開設して短期間に10万人のエリートを養成し、病院などの衛生設備も整え、現地人たちが自力で国土防衛が行えるようにインドネシア郷土防衛義勇軍(PETA)を組織して軍事教練を行うなど、インドネシア人を差別し弾圧したオランダ人とは異なった政策を取った。

独立

終戦後、インドネシアは独立を宣言し、再植民地化のためにイギリスと連合を組んだオランダの侵略を退けるため、現地にとどまった一部の日本軍兵士と共に独立戦争を戦い抜き、 約4年にわたる激戦と外交努力の末に、1949年12月のオランダ-インドネシア円卓会議(ハーグ円卓会議)で、インドネシアはオランダから無条件で独立承認を得ることに成功し、ついに独立を果たした。
詳細⇒インドネシア独立戦争

近年

独立当初、国の体制がしっかり整備される間は問題も多く、経常赤字と資本流入への依存や、貧弱なインフラや政治・実業界の腐敗部分など、いくつかの問題点も指摘されてはいるものの、東南アジア全体でも有数の好景気に沸き順調に発展を遂げており、日本からの投資も2012年には25億ドル(約2500億円)に急増し、支援による工業の発展も著しく、インフラ整備も行き届いてきている。
2014年に国際協力銀行が、日本企業を対象に行ったアンケートでは、海外進出したい国として中国を抜いて第1位となっている。

民族

多民族国家であるが、その大多数はマレー系民族であり、彼らがインドネシア人の直系の祖先で、原マレー人新マレー人の2種類に分けられる。
他にも、約300の民族がおり、住民の内、ジャワ人45%スンダ人14%マドゥラ人7.5%沿岸マレー人7.5%その他26%中国系約5%となっている。

インドネシアは公用語であるインドネシア語と、掲げられた『多様性の中の統一』というスローガンの下で、多民族がまとまって一つの国家としての形を保っており、このことからインドネシア人の多くは、基本的に他人に対しても寛容であるとされ、また南国特有の性格の明るさや、怒ることはあまり良くないことと考えられている思想もあってか基本はおだやかな気質とされる。

日本企業の雇用主からも、とても従順で真面目によく働いてくれると言われており、また歴史的経緯から親日国家でもあるため、日本人に敬意を表して接する人も多く、これらの事情から日本人とインドネシア人は非常に相性がよいとされ、インドネシアを開発拠点として最良の場所と考えている日本企業も多い。

とはいえ、国の治安は比較すると日本ほど良くはないため(世界的に見るとまだ良い方だが)、犯罪には十分注意する必要がある。また時間感覚がかなり違い、おおらかな気質から時間にはルーズな人が多いとされる。

父系・母系を共に親族とみなす『双系社会』であるため姓がない人もいる(スカルノスハルトなど)。

世界一の親日国

東南アジア諸国は基本的に親日国であるが、その中でもインドネシアは『世界一の親日国』と呼ばれるほど有名であり、2006年にアメリカメリーランド大学イギリスBBCが共同で行なった調査で、「世界に最も良い影響を与えている国は日本」という結果が出ており、その中でも日本肯定派が一番多かったのがインドネシアで、「日本が好影響を与えている」とする回答が85%にも上っている。

主な要因として、前述した約350年続いたオランダの植民地支配からの日本軍による解放と、その後のインドネシア独立戦争での日本軍兵士の協力が要因とされている。独立後、ともに戦い戦死した日本軍兵士は、インドネシア独立の英雄として、独立戦争の戦没者を弔うカリバタ英雄墓地に祀られている。
また、独立宣言も西暦でなく皇紀で起草され「皇紀2605(西暦では1945年)年8月17日」が独立宣言に記された正しい日付である。

しかし2014年、日本と中華人民共和国が売り込みしあっていた高速鉄道で、破格の条件(簡単に言えば「インドネシア政府側に財政支出や債務保証を要求せず、そのカネやリスクは中国が負担する」というもの)を提示してきた中共案を選択した。
ただ、入札で競り負けただけならよかったのだが、日本側が行った地質調査のデータがインドネシアの要人から中共に流出した疑いが濃厚である為、日本政府とインドネシア政府との関係が悪化することになった。

…そして案の定、中共の不義により計画は始まる前から破綻状態
詳しい解説は省くが、中共側の書類や資料のやりとりの拙さや用地接収の難航などで初っ端から蹴躓いたうえ、最近では受注の際に中共案を猛プッシュしたインドネシア国営企業相に対して、中共側から多額の現金が渡ったという疑惑が浮上し現地警察が調査に乗り出したり、中共側が上述の「破格の条件」を反故にしてインドネシア側に負担を要求するなど、双方の関係悪化が取り沙汰されている。
現地のインドネシア国民は、中共案の採用当初から大変落胆して自国政府を批判しており(首都ジャカルタの住民の足であるKRLジャボタベックを中心に、現地では既に日本製の車両が多数運用されており、信頼と好評を得ていたことも大きいと思われる)、このインドネシア政府の失態に「日本に申し訳ない…」という声があがっていた。

元々、日本は輸出で出遅れていた新幹線技術のグローバル戦略の一環としてモデル線の建設を急いでいたため、インドネシアに対し破格の条件を出していたのだが、現時点では既に台湾高速鉄道が開業済み(インドネシアの計画が持ち上がった時点ではヨーロッパ勢が優勢だったのだが、地震をきっかけに新幹線がベース技術となった)、タイインドに建設が決定しており、インドネシアは再び日本との計画の立て直しが行われており、日本との交渉を再開している。
だが、今回の失態によりインドネシアが再び良条件で日本から新幹線技術を引き出せるのは、まだ先のことになりそうである。
「只より高いものはない」とは、よく言ったものだ。

関連タグ

世界 アジア 東南アジア
インドネシア語 インドネシア独立戦争
バリ島 ジャワ島 熱帯雨林 コモド国立公園
イスラム教 ヒンドゥー教
ココナッツ / 椰子の実 パーム油 
ココナッツミルク タピオカ ナシゴレン
ガムラン シラット

親日 日本軍 
JKT48

9月30日(1965年のこの日に軍事クーデターが発生。⇒9月30日事件 - wikipedia)

隣接する国

マレーシア 東ティモール パプアニューギニア(いずれも陸地で隣接している国)

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