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二条家の編集履歴

2019-04-04 09:32:45 バージョン

二条家

にじょうけ

二条家とは五摂家の一つである

重要

藤原氏北家九条流。鎌倉時代九条道家の二男二条良実が、二条富小路の邸宅を二条殿と称したのが家名の由来(二条殿は後に押小路烏丸殿を指すようになる)。家紋は二条藤。江戸時代の家禄は1708石。維新後、二条基弘公爵に叙せられた。


足利将軍家および徳川将軍家から、代々偏諱を賜い、五摂家のなかでは、最も親幕府派とされる。また、史上最後の関白二条斉敬)を出した家でもある。


鎌倉時代末期の元弘の変において後醍醐天皇関白二条道平が倒幕関与の疑いを受けて鎌倉幕府より「中院禅閤(二条兼基)等子孫不可為家督」(『花園院宸記』正慶元年4月10日条)の処分を受けて二条家は一時断絶の危機に陥った(後醍醐天皇の復帰で無効となる)。続く、南北朝時代に一時分裂したが、北朝方二条良基(道平の子)のもとで勢力を取り戻した。特に明治以前の即位式において新天皇に灌頂を授ける即位灌頂の儀を掌る役目は室町時代以後二条家が独占していた。江戸時代、当時の摂家最大の実力者とされていた近衛基熙が本来は摂関家全てに即位灌頂の礼式が伝わっている事、先代当主の二条光平の早世で礼式が絶えたことを理由に二条家の独占を継続すべきではないと唱えた。これに対して霊元上皇は他家にも伝わっているにも関わらず二条家の独占になっているのは相応の理由があるからであるとして、たとえ二条家当主が現職の摂関・大臣でなくても「即位灌頂」のみは二条家当主が行う事、もし当主が幼くして二条家を継いだ場合には儀式の秘法を知るもう一人の存在である当代の天皇が責任をもって当主に伝授する事を裁定して公式に二条家の独占となった。


江戸時代の屋敷跡地は、京都御苑の区画外に位置していたため、他の4家の摂政関白家とは異なり公園とはなってはおらず、同志社女子大学の構内となっている。


歴代当主

当主続柄
1二条良実九条道家次男
2二条師忠良実の三男
3二条兼基良実の男子
4二条道平兼基の男子
5二条良基道平の長男
6二条師良良基の長男
7二条師嗣良基の次男
8二条満基師嗣の男子
9二条持基師嗣の男子
10二条持通持基の男子
11二条政嗣持通の男子
12二条尚基政嗣の男子
13二条尹房尚基の男子
14二条晴良尹房の男子
15二条昭実晴良の男子
16二条康道九条幸家の長男、晴良の曾孫
17二条光平康道の男子
18二条綱平九条兼晴の男子
19二条吉忠綱平の男子
20二条宗熙吉忠の男子
21二条宗基九条幸教の男子
22二条重良宗基の男子
23二条治孝宗基の男子
24二条斉通治孝の長男
25二条斉信治孝の次男
26二条斉敬斉信の次男
27二条基弘九条尚忠の八男、治孝の
28二条厚基基弘の次男
29二条弼基二条正麿の三男、斉敬の
30二条基敬弼基の長男

関連項目

朝廷 公家 藤原氏 摂関家 五摂家 摂政 関白

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