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Il-2の編集履歴

2011-11-26 18:08:01 バージョン

Il-2

あいえるに

イリューシンの開発した対地攻撃機。軍用機としては史上最多の36000機(派生機含む)が生産された。エンジンとコクピットの周辺には厳重な装甲が施されている。通称としては「シュツルモビク」が有名だが、実は攻撃機を意味する一般名詞である。

装甲攻撃機

もともとは対地攻撃用の装甲攻撃機として構想が始まった。

第一次大戦で塹壕が攻撃の妨げになったため、

あらかじめ塹壕を機銃掃射して味方の攻撃を助ける目的であった。


このような攻撃機は各国でも開発が進んでいたものの、とうとう実現した機体は無かった。

機銃の搭載を増やすと重くなり、

反撃に備えて装甲すると、今度は重すぎて飛べなくなったのだ。


Il-2はこの延長上にあると言える。

常識破りの装甲を施し、強力な機銃で武装する。

小銃くらいでは傷もつかない。機銃掃射すれば戦車も火を噴く。

まさに空飛ぶ戦車である。

(現代でもMi-24あたりが相当するかもしれない)


開発コードは『空飛ぶ戦車』

さて、戦間期に散々試作されてはモノにならなかった装甲攻撃機だが、

ソビエトは諦めずに継続していた。


だが、開発コード「LT」(空飛ぶ戦車の意)は決して順調ではなかった。

どんなに設計で努力を重ねても、700kgにもなる装甲版は重かったのだ。

液冷エンジンも出力不足であり、また冷却にも課題を抱えていた。


結局、エンジンは出力向上形が用意される事になった。

冷却器も機体下に配置して、周りを装甲で囲む事とされた。


それでも要求仕様には不十分なので、複座を単座に改修して軽量化した。

これで生産開始かと思いきや、土壇場で装甲追加となった。

生産までは本当にドタバタしていたのだ。


『パンにように必要である!』

1940年10月、生産開始命令。

要求仕様を満たす事は出来なかったが、ともかく戦力化が急がれた。

同12月、フィンランドとの冬戦争が勃発。

生産は見切り発車で急がれた。武装すら決まっていなかった。

結局、武装が決まったのは命令の翌月。11月になっていた。


1941年6月、ドイツがソビエトに侵攻。

やっと軌道に乗り始めた生産に、急ブレーキが掛かった。

工場はウラル山脈の向こうへの疎開が決定した。

一大事だった。


工場の立地だけではない。

工作機械や技師も連れて行かなくてはいけない。

また、工場の労働者も必要だ。

田舎での人集めも重要課題となった。

それから労働者の住居や食料まで。

工場責任者は死に物狂いで働いた。

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