ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ホンタイジの編集履歴

2012-01-02 11:27:55 バージョン

ホンタイジ

ほんたいじ

1 ジュンガル君主の王爵 モンゴル帝爵、汗(ハーン)の下称号(副帝)皇太子の意 2 清朝の第二代皇帝の名前 愛新覚羅皇太極

ホンタイジ(皇太子)


1 ジュンガル君主王爵 汗(ハーン)の下称号(副帝)の意味 語源皇太子


2 清朝の第二代皇帝の名前 愛新覚羅皇太極


1のジュンガル君主のことを載せます。


ジュンガルの歴代君主はモンゴルにおいて副王の意味であったホンタイジ(語源は皇太子)号を採用し、チベットのダライ・ラマから授与されることで即位とした。


ジュンガルホンタイジ号を使用したことで、ホンタイジの意味は副王からオイラトの盟主を指す意味にもなった。


 歴代ホンタイジ(ジュンガル帝国君主)

称号 在位 続柄
ホトゴチンバートル・ホンタイジ 1637年-1653年 ハラフタの子
センゲ ホンタイジ 1653年-1670年 ホトゴチンの子
ガルダンホンタイジ、ボショクト・ハーン1671年-1678年(1678年から1696年までハーン) センゲの弟
ツェワンラブダンエルデニ・ジョリクト・ホンタイジ1694年-1727年 センゲの子
ガルダンツェリンホンタイジ1727年-1745年 ツェワンラブダンの子
ラマダルジャーホンタイジ1750年-1752年 ガルダンツェリンの次男
ダワチホンタイジ1752年-1755年 ホトゴチンの玄孫

清朝との戦役


ジュンガル部(オイラート・モンゴル族)からは時々東西モンゴル統一を図る人物が出て、清の西部版図を犯していた 1696年 康煕帝がジュンガル討伐に出る、この征伐は乾隆帝の代で終結する



滅亡


1755年、清の乾隆帝はこの機に乗じてモンゴル軍団八旗軍団を動員した大軍をジュンガルに進軍させ、わずか100日でタリム盆地に逃げ込んだダワチを捕獲し、ジュンガル帝国を滅ぼした。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました