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OV-10の編集履歴

2012-04-08 10:57:36 バージョン

OV-10

おーぶいてん

アメリカ、ノースアメリカンの開発したCOIN機。元々は海兵隊の観測機・空軍のCOIN機・陸軍の近接航空支援(CAS)専門機を兼ね備えた機体として開発された。ゲリラ戦(不正規戦)への対応が強く意識されていたようで、COIN機としての能力以外にも兵士6名(あるいは貨物)を輸送できる。

公式な愛称は『ブロンコ」。

アメリカ西部の半野生馬の事である。

STOL(短距離離着陸)性能に優れ、広いキャノピーは広大な視界を保障する。

元は不正規戦も意識して輸送能力を持つように設計されていたが、

そのような目的には殆ど使われなかった。

(それならヘリコプターの方が便利)

現在は役目をOA-10に譲って退役している。


アメリカ民間の森林消防隊で、

空中からの消火に際し、放水機の指揮官機として使われている事もある。

(資金の豊富な消防会社では維持する余裕がある)


ジャスト・ワン・コイン

元々は上記のとおり、1959年に海兵隊が新型の観測機を開発した事に始まる。

そのころ空軍でも、A-1やB-26のような旧式化した攻撃機の後継を探しており、

陸軍は味方を近接航空支援(CAS:Close Air Support)する航空機を求めていた。


1963年9月にこれらをCOIN機として共同開発する事となり、

(おそらくマクナマラ長官の指示)

COIN機開発計画はLARA計画と命名されて研究と開発が行われる事になった。


10月には開発の要求仕様がまとまり、

・優れたSTOL性能を備える

・最大速度は265kt(約490km/h)以上

・固定武装は7.62㎜機銃4門

・兵器搭載量は約1100㎏

・空挺隊員6名/貨物910㎏を輸送/空中投下できる

のように決まった。


1964年8月には応募した各メーカーの中から、ノースアメリカン案の採用を決定。

同10月にはYOV-10Aとして試作機7機を発注した。


1965年7月には最初の試作機が初飛行しており、これは驚異的スピードである。

LARA計画は途中から陸軍は固定翼機を持たない事』と決まり、計画から離脱した。

(主に空軍とマクナマラ長官の横やり)

1967年8月、OV-10Aの生産初号機が初飛行を行った。

1968年2月、空軍海兵隊の飛行隊への引き渡しが開始され、実戦配備が始まった。

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