昔あった愛知航空機が作った艦上急降下爆撃機の事。
(ここでは一貫して九九艦爆と呼称する。)
正式採用まで
海軍は九六式艦爆が古くなった為に中島飛行機,三菱飛行機,愛知航空機の三社に新しい爆撃機を作れ命じ、三社の中で一番良かった愛知航空機の機体に三菱飛行機のエンジンをつける事で決定。(試作機だけは中島のエンジン)
ドッグファイトをしようとすると機体が不安定なるという問題が起きた為ハインケル70を参考にして安定化に成功。
活躍
日本海軍初の単葉機の九九艦爆は開戦初期は搭乗員の練度と高い機体安定性が相まって各地で獅子奮迅の活躍。
アメリカ側から見れば熟練搭乗員が自由自在に動ける機体に乗っている事はすさまじい脅威だった。
高い命中度により真珠湾攻撃の時は停泊艦隊を軽々と半滅
セイロン沖海戦では英国巡洋艦のコーンウォールとドーセットシャーを20分以内に轟沈させ、その後空母ハーミーズと随伴の駆逐艦2を轟沈。
その後珊瑚海海戦やミッドウェイ海戦でも活躍した。
終わりへの路
1942年以降は日本軍の空母が減っていて、陸上から出撃するしかない状況が増えて滑走距離が長い彗星よりも九九艦爆の方が向いていた為継続して使われた。
1944年のフィリピン戦以降は降伏するまで特攻に使用されるも馬力が旧式化していた九九艦爆では戦果が挙がらなかった。
現在のパナソニックの創始者、松下幸之助が海軍トップに直談判されて作った国策会社「松下航空機」が、九九艦爆を木製で製造、練習機明星として使用する予定だった。(敗戦までに6機製造。)