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フライデー襲撃事件の編集履歴

2023-01-28 18:44:33 バージョン

フライデー襲撃事件

ふらいでーしゅうげきじけん

1986年(昭和61年)12月9日、お笑いタレントのビートたけし(北野武)をはじめ、たけし軍団ら12人が講談社の写真週刊誌『フライデー』の編集部を襲撃した事件である。

概要

当時数多くのレギュラー番組を持っており、お笑い界のBIG3と称され、まさに売れっ子だったビートたけしだったが、その反面、メディアやマスコミから必要以上に取材を責められ、遂にはたけしの家族にまで手が回るようになった。たけしの妻である北野幹子によると子供を私立校の入学試験に連れて行くところを写真に撮られ、このため学校から「子供の写真が週刊誌に掲載されるようでは入学させられない」と言われてしまった。そのため、次第にたけしはメディアやマスコミに対し不満と苛立ちが溜まるようになっていった。

それからまもなくして1986年の12月8日、東京都渋谷区の路上で、ビートたけしこと北野武(以下「たけし」、当時39歳)と当時親密に交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、『フライデー』の契約記者が女性の通う学校校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを女性の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせた。

翌日、女性から一部始終の知らせを受けたたけしはとうとう激怒。フライデーの発行元であるに講談社に抗議電話をかけ謝罪を要求するが、講談社は謝罪を拒否し自分達の行為は正当化だと強く意見した。それに対したけしは「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の午前3時過ぎ、番組収録終了後、たけしは弟子集団であるたけし軍団の一部メンバー11人と共謀して、東京都文京区音羽にある講談社本館内にあるフライデー編集部に押し掛けた。そして編集部に乗り込み、直ちにに自身の彼女と自身の家族に対する必要過ぎるの取材の謝罪を要求した。だが、編集部側は一切謝罪には応じず、自分たちの仕事はこういうものだとわかってほしいと了承を要求。更にはそっちだってやましい商売だから、写真の一枚や二枚を取られても仕方がないと挑発的な意見を挙げる。その言葉を受けたたけしは遂に辛抱の緒が切れて「ガタガタうるせえんだよ!!」と発して暴行に至った暴行傷害事件へ発展した。たけしらは「ぶち殺すぞ、この野郎!」と叫びながら、粉末消火器を噴射した上、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の傷害を負わせた。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の現行犯で、警視庁大塚警察署によって逮捕された。事件後、たけしらは逃亡のおそれ無しとして釈放された。

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