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謝ったら死ぬ病の編集履歴

2023-01-29 23:42:13 バージョン

謝ったら死ぬ病

あやまったらしぬびょう

謝れない人間を皮肉る時に使われるスラング。

概要

本来ならば自身が謝るべき状況であっても頑なに屁理屈を重ねて謝ることを拒否する人間を指す状態。

無論医学的な病気ではなく、どちらかと言えば悪癖に近い。


元々は不祥事を認めようとしない政治家や有名人に対する皮肉として使われてきたが、SNS普及後は一般人も陥りやすい事が判明した。

その背景には謝り非を認めると言うことは自分を相手より下の立ち位置に置く事になるため、事の正否よりも自分を貶めたくないからと“謝ったら自分の負け”および“自分は悪くない、悪いのは相手の方”という心理が深く関わっているが、言い換えれば「謝る(もしくは逮捕される)ぐらいなら死んだ方がマシ」というワガママであり、謝る事すらできない己の弱さを正当化しているだけと言える。

また、謝れると言うのは、当人の人間性や実績、地位に関わらず悪事や過失を行えばどんな人間であれ悪い、と言う『人間は平等である』と言う意識の表れであり、逆に言えば常に格差を意識している器や了見の狭い人ほど、自分は誰かの上なんだ、上でいたいと言う考えを拗らせている者ほどこの病にかかりやすい。


しかしながらある程度フォローすると、成功者や重い立場にいる人の場合、それについてくる人や部下、その家族の生活とその責任を背負っており、失敗出来ない、してはならないと言うプレッシャーを抱いている人も少なくない。

そのためについてきてくれる人のマイナスとならないよう自分の過ちを認めにくい状態になり、何かあっても非を認めない、謝らないという思考に陥る事がある。

環境ゆえに、とも言えるが逆を言えば立場とついてきてくれる人を盾に正当化しているも同然であり、謝らない理由にはならない。


また、フィクションにおいては刑事ドラマや推理ドラマにおいて犯人に殺されるシーンでの回想で被害者が自分の過去の罪を棚に上げる様や、犯人側の回想シーンで殺意マシマシで被害者を殺したにもかかわらず、後になって刑事や探偵に追及された時に「殺すつもりなんて無かった」などと(泣き落としのような)言い訳をする様はまさにこれであり、格差社会の意識が強い国の海外ドラマや韓ドラなどでも露骨であれさりげなくでもあれ扱われており、良くも悪くも国民性の一つとして描写されている。


関連タグ

謝罪

だが私は謝らない

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