概要
1928年(昭和3年)3月から開発され、1929年(昭和4年/皇紀2589年)10月に八九式軽戦車として仮制式化された。
改良に伴う重量増により最終的に1934年(昭和9年)に中戦車に再分類され、八九式中戦車と呼ばれるようになった。
帝国陸軍初の国産正式戦車であることから、イロハの「イ」を取って「イ号」とも呼ばれる。
後期生産車の乙型はディーゼルエンジンが搭載され、ポーランドの7TPとともに世界初のディーゼルエンジン搭載戦車となった。
初陣の満州事変以降、中国大陸に於ける戦いでは攻撃力不足が問題となるような深刻な脅威にぶつかることはなかった。むしろ中国大陸に於ける本車への最大の不満はその低い機動力であった。これは、大陸におけるほとんどの戦いが「追撃戦」の様相を呈していたからである。この反省が機動力を重視した九五式軽戦車の開発に繋がった。しかし、後のノモンハン事件や太平洋戦争(大東亜戦争)では対戦車戦闘能力の欠如が問題となった。
だが当時の日本の工業力では、航空機及び艦船を生産するだけでも手一杯だったことから新型戦車を生産する余裕が無く、結果として老兵と化した本車がフィリピン戦線で終戦まで使われ、死と隣り合わせの戦いを強いられることとなったのである。
関連イラスト