概要
第61・62・63代内閣総理大臣。従一位大勲位。日米安保体制を基軸とした国際貢献を果した。
来歴
明治34年3月27日、山口県熊毛郡田布施町に生まれる。
東京帝国大学卒業後、鉄道省に入省。鉄道総局長官などを歴任後、第2次吉田茂内閣の官房長官に任命される。
昭和39年11月、池田勇人の病状悪化による退陣をうけ、第62代内閣総理大臣に指名された。
政権発足早々の日韓国交正常化から、沖縄返還で花道を飾って昭和47年7月に総辞職するまで、七年八ヶ月に及ぶ長期政権であった(連続政権としては最長記録である)。
政権発足にあたって佐藤は、所得倍増を唱え「寛容と忍耐」のソフト路線をとった「経済の池田」に対して、「政治の佐藤」を打ち出した。
池田の低姿勢を批判し、先送りされた懸案事項遂行のためには野党勢力との対決をも辞さずといった「剛」の姿勢であった。
この「政治の佐藤」という自負心には、高度成長によって経済大国にのし上がりつつあった中で、国内外にわたる新しい政治的枠組み構築への意欲が込められていた。
対外的には日米安保体制、国内的には五五年体制をめぐる問題であった。
昭和50年5月19日に脳溢血で倒れ、同年6月3日に死去。享年74歳。
関連項目
佐藤B作:佐藤栄作をもじった名前の俳優