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稲妻の衝撃、再び。

復帰するだけでも奇跡、そんな重傷から返り咲いた勇者がいた。

かつて極めた砂の頂上決戦で、華麗なる復活を遂げてみせる。

若き日に呼ばれた「砂のディープインパクト」という称号。

鮮烈な稲妻の魂は、最強の輝きとともにその名声を証明してくれた。

≪JRAヒーロー列伝No68≫


不屈の魂、ここに


右の痛みと向き合い、

左の傷と戦う。

レースから遠く離れた場所で

孤独で苦しい日々を過ごしながら

けれども彼は

秘かに闘志をはぐくんでいた。


見せよう。

病にも怪我にも

そしてたちにも

屈することのない魂の走りを!


≪「名馬の肖像」2017年フェブラリーステークス


2005年2010年まで長きに渡りダート界の頂点に君臨し、同期馬で同馬主ディープインパクトに準え、「砂のディープインパクト」と呼ばれた。


生涯

2002年2月26日生まれ。

父はフジキセキ

馬主は金子真人

馬名はハワイ語「雷の精」という意味。


2004年(2歳)

栗東・角居勝彦厩舎に入厩。

2004年7月31日の新潟競馬場での新馬戦で柴田善臣を背にデビューするも4着。

8月21日の小倉競馬場での未勝利戦は福永祐一が乗るも13頭立ての11着に惨敗し、2歳シーズンは未勝利に終わる。


2005年(3歳)

年明け初戦にダートの未勝利戦を池添謙一とのコンビで初勝利を挙げると、続くダート条件戦(オリビエ・ペリエ騎乗)も1.3倍の支持に応えて勝利。

初重賞となる毎日杯(GⅢ)から武豊が主戦となるが7着と惨敗したことで、陣営は本格的にダート路線へ照準を定めた。


単勝1.2倍の端午ステークスを圧勝すると、ダート重賞のユニコーンステークス(GⅢ)も1.1倍の人気に応えて重賞初勝利を挙げた。


7月13日に大井競馬場で開催されたジャパンダートダービーは、武豊がディープインパクトで快進撃を続けていたことも重なり、またも1.1倍の圧倒的1番人気。

それに応えて4馬身差を付ける圧勝で初GⅠ勝利を挙げた。


続いては9月19日に盛岡競馬場で開催されたダービーグランプリに出走。

追い込んできたサンライズバッカスを振り切ってダート二冠を達成した。


なお、かつてはユニコーンステークス・スーパーダートダービー(ジャパンダートダービーの前身)・ダービーグランプリの3つを勝つことを「3歳ダート三冠」と呼んでいたが、カネヒキリは3つ全て勝っているものの三冠馬とは呼ばれないことが多い。


続く武蔵野ステークス(GⅢ)は古馬との初対決にもか関わらず1.3倍に支持されたが出遅れが響いて、前走で破ったサンライズバッカスに雪辱され2着。これがダート初黒星となった。なお、この武蔵野ステークスまで5戦連続で単勝オッズは1倍台だった。


ダート界の頂上決戦、ジャパンカップダートは前走での敗戦もあって単勝2.1倍と若干落としたものの依然として1番人気だった。

最後の直線はシーキングザパールの仔シーキングザダイヤ、2003年の東京大賞典優勝馬スターキングマンとの競り合いとなったが、ハナ差でコースレコードを塗り替え優勝した。


この年は9戦7勝の成績を残し、JRA賞の最優秀ダートホースを受賞した。

この年のクラシック戦線はディープインパクトが完全に席巻したこともあり、カネヒキリのダート転向は結果的に大成功と言えた。


2006年(4歳)

年明け初戦はフェブラリーステークス

前年の優勝馬メイショウボーラーフサイチコンコルド産駒のブルーコンコルド、2年連続東京大賞典優勝馬アジュディミツオーなど強敵がひしめく中で

見事1番人気に応えて勝利。GⅠ4勝目を挙げた。


続いてはドバイワールドカップへ遠征するも5着入線(2着馬が失格になったため最終的に4着へ繰り上がり)。

そして、帝王賞(大井競馬場)はアジュディミツオーとの一騎討ちとなったが2着に敗れた。


その後、マイルチャンピオンシップ南部杯を目指して調教していたが屈腱炎を発症してしまい、長期休養を余儀なくされる。


2008年(6歳)

2007年には再び屈腱炎が発症してしまい、この年は1度も走ることがないまま終わった。


そして、2008年11月8日の武蔵野ステークスで約2年半ぶりに復帰。2番人気に推されるも9着に敗れ、この競走を最後に武豊はカネヒキリから離れた。


3年ぶりの出走となったジャパンカップダートは、新たにクリストフ・ルメールとコンビを組んだ。

最後の直線で集団から抜け出すと、追い縋るメイショウトウコンとヴァーミリアン(岩田康誠が騎乗)を退け、3年ぶりにJCDの勝利を挙げた。

なお、前回の勝利は東京競馬場での開催で、今回は阪神競馬場での開催だったため、東京と阪神の2箇所でJCD勝利を挙げたのはカネヒキリが唯一の事例である。


そして年末の東京大賞典では再びルメールとコンビを組み、かつての相棒だった武豊が乗るヴァーミリアンを再び破りGⅠ/JpnⅠ通算6勝目を挙げた。


2度の屈腱炎からの見事な復活劇が評価され、最優秀ダートホースを3年ぶりに受賞した。


2009年(7歳)

7歳初戦はJpnⅠ川崎記念(川崎競馬場)。

最後は逃げるフリオーソを捕らえ勝利。これでGⅠ/JpnⅠ通算7勝目を挙げた。


続くフェブラリーステークスはサクセスブロッケンの3着に敗れる。


続くJpnⅠかしわ記念(船橋競馬場)は、内田博幸と組んだがエスポワールシチーの2着に敗れた。

レース後に内田はカネヒキリの脚元に違和感を感じて下馬した。検査の結果骨折が判明し、ここから1年休養に入る。


2010年(8歳)

8歳となった2010年。ディープインパクトを始め既に同期馬の大半も第一線から去っており、カネヒキリもまた満身創痍の中でダート王者の威信にかけて1年のリハビリを乗り越えて復帰してきた。


復帰初戦は帝王賞。このレースから横山典弘を迎えて臨んだが、フリオーソに敗れて2着。(4番人気)このレースでヴァーミリアン共々初めてフリオーソに先着を許し、世代交代の波が迫りつつあった。


7月19日に盛岡競馬場で開催されたマーキュリーカップ(JpnⅢ)は8歳馬と思えぬパフォーマンスを見せ付け、1年半ぶりの勝利。そしてこれが現役最後の勝利となった。


門別競馬場で行われたブリーダーズゴールドカップ(JpnⅡ)はシルクメビウスに交わされ2着。


その後は日本テレビ盃(JpnⅡ・船橋競馬場)に向けて調整していたが、両脚に屈腱炎(右の屈腱炎は以前と違う場所)が発生。

遂にカネヒキリも第一線から去る時が来た。


通算23戦12勝。うちGⅠ/JpnⅠ7勝。稼いだ賞金は約8億5000万円。

度重なる故障に悩まされたものの、ヴァーミリアンには1度も先着を許さず数多くのライバルがひしめくダート戦国時代において抜きんでた安定感を発揮し確かな蹄跡を残した。


引退後

2011年より種牡馬入り。

川崎記念を勝ったミツバ韓国GⅠコリアカップを連覇したロンドンタウンを輩出するなどまずまずの成果を出していたが、2016年5月27日に種付け中の事故で死去。まだ14歳、人間に換算して40代ぐらいの早すぎる死であった。


なお、前述のロンドンタウンが2021年より後継種牡馬となった。ちなみにロンドンタウンは当初韓国での種牡馬入りが決まっていたものの、新型コロナウイルスの世界的流行により韓国への渡航ができなかったため、現在日本で繋養されている。


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