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松本幸四郎

まつもとこうしろう

歌舞伎役者の名跡の一つ。当代は十代目。ここでは先代である九代目と当代を主に記述する。
目次 [非表示]

代々

七代目 松本幸四郎(現 幸四郎、海老蔵の曾祖父)七代目・松本幸四郎

屋号は高麗屋で、原則的に高麗屋の宗家名跡である。初代は下総国香取郡小見川(現在の千葉県香取市)の人と伝えられており、将軍徳川吉宗の時代の人。

二代目は後の四代目市川團十郎となり、以後市川宗家とは密接に関わる名跡となる。三代目以降はそのまま團十郎家となったため、四代目は二代目の門弟が継承する。この系統は六代目まで続くが、六代目が跡継ぎを残さず没したため、断絶となった。


その後、改めて九代目團十郎の門弟が七代目幸四郎を襲名。彼は既に日本舞踊藤間流宗家藤間勘右衛門の養子であったため、暫くは藤間流宗家と兼ねることとなる。

この七代目幸四郎の長男は、一時断絶しかけた團十郎家を継いだ十一代目市川團十郎である。三男は音羽屋六代目尾上菊五郎の門弟となって二代目尾上松緑となる。そして、次男が八代目幸四郎を継承した。1981年、この八代目が隠居名・白鸚を名乗ることとなったことから名を譲られたのが、その長男・九代目幸四郎である。また、八代目の次男が二代目中村吉右衛門を襲名(後述)。

この襲名より37年後の2018年、九代目の二代目白鸚襲名と共にこの名を襲名した十代目幸四郎は、この九代目の長男である。


なお、松本幸四郎に先だって襲名される名跡は代々で異なっている。

初代の頃は、はじめ久松多四郎という役者に入門したことで久松小四郎を名乗り、その後元の苗字に戻して松本小四郎、更に後の御三卿筆頭田安徳川家の初代徳川宗武の幼名「小次郎」に通じるという理由で「幸四郎」に変えた、とされる。

そして初期の頃はそれほど大きな名前ではなく、市川團十郎に先立って襲名される名跡のように扱われた。門弟であった四代目の頃から市川姓である「市川染五郎」「市川高麗蔵」を先立って襲名するようになるが、なかでも高麗屋の屋号に通じる「高麗蔵」の名が前名として重用された。


さて、七代目は四代目市川染五郎から八代目市川高麗蔵を経て襲名した。そして前述のとおり七代目の長男は十一代目團十郎となった。この團十郎が「九代目市川高麗蔵」を名乗ったまま團十郎家に養子入りした関係で、「五代目市川染五郎」を継承した次男が八代目となった。以降当代も同じく市川染五郎から松本幸四郎となり、当代の長男も七代目市川染五郎を名乗る。

対する高麗蔵の名跡は現在、團十郎家の門弟でかつ親族が歌舞伎役者の者が名乗る名跡となっている。この当代・十一代目市川高麗蔵は同じ團十郎家の門弟筋である澤瀉屋・二代目市川段四郎の曾孫(当代市川猿翁のはとこ)である。なお、高麗蔵は幼少期は大伯父にあたる八代目市川中車(二代目市川猿之助(初代猿翁)の弟)の門下であったが、中車の没後、弟子と共に高麗屋一門に移籍した過去を持つ。


現在、松本家の初名乗りは「松本金太郎」を代々名乗る。これは七代目を初代として、八代目を除き当代まで四代続いている。そのため、高麗屋宗家の御曹司は松本姓から一旦市川姓になった後再び松本姓の芸名変遷を辿ることとなる。なお余談ではあるが、七代目が藤間家の養子となったことから現在の高麗屋宗家の本名の苗字は一貫して「藤間」である。これは同族の尾上松緑家も同じ。


九代目

聞いいているのかね!!!!111!!

本名「藤間昭暁(ふじまてるあき)」。八代目松本幸四郎の長男として1942年8月19日に生まれた。母は播磨屋初代中村吉右衛門の唯一の娘。弟は吉右衛門家に養子に入り二代目吉右衛門を名乗る。妻の紀子は慶應義塾大学卒の実業家で、高麗屋を経済面でも支える。長男が当代・十代目松本幸四郎、長孫が八代目市川染五郎。長女は女優の松本紀保で、次女も同じく女優の松たか子

高麗屋宗家としてそのお家芸を受け継ぐ他、外祖父初代吉右衛門の芸も受け継ぐ。一方でその活躍は歌舞伎に留まらず、西洋演劇にも進出する。「ラ・マンチャの男」主演で有名。この役ではニューヨーク・ブロードウェイにまで進出している。ミュージカル分野でも今や日本を代表する役者である。西洋劇進出は父・八代目の影響も大きい。

テレビドラマにも多く出演する。また、市川染五郎時代に「野バラ咲く路」を自ら作詞作曲して熱唱していたことでも有名。お茶やコーヒーなどのCMの他、かつては、トヨタマークⅡ三井不動産、中外胃腸薬やバンテリンのCMにも出演していた。余談だが長男の当代幸四郎も、父・九代目が出演した三井不動産のCMを引き継いでいる。


2018年1月より父の隠居名であった二代目松本白鸚を襲名、同時に長男染五郎が十代目松本幸四郎を、長孫四代目松本金太郎が八代目市川染五郎を襲名した。


世評

弟の吉右衛門と比べ、自由闊達な芸風や歌舞伎外での活動が目立つことからよく比較される。俗に兄弟を説明する時に「兄は高麗屋の御曹司として何不自由なく育ったが、弟は祖父吉右衛門に厳しく鍛えられた」と評されることがある。

これについては、兄弟ともに歌舞伎役者として子役の頃から鍛えられていたのは確かであり(逆に子役経験が無いのは二人の父・八代目である)、その点では差異が無いように思える。御曹司という立場も、吉右衛門も播磨屋の宗家を継ぐという立場であったのだから一見すると格段の差も無いように思えるのである。

ただし外的要因にも着目すると二人の環境の差も見えてくる。幸四郎は実家の祖父・父そして母がおり、更に尾上松緑家がバックアップ的立場として控えていたため、高麗屋の長男としての将来を、ゆっくり着実に成長していけばよかった。一方吉右衛門は外祖父に中継ぎ無しで後継指名され、老い先短い祖父から直接芸を授かる反面、その残る時間の少なさ故に厳しく鍛えられることとなった事情がある。

兄弟の母は嫁入りする際、「男の子は二人産み、どちらかを必ず播磨屋の後継とします」と述べたという。跡継ぎのいない吉右衛門の事情を鑑みた発言であり、果たしてその通りとなったが、結果として幸四郎が長い目でぼんやりとした中で後継者という立場が定まっていったのに対し、吉右衛門は当初から後継者というものが生まれながらに明確に目標として定まっていた差であろう。


そのことは二人の芸の活動の差異にも表れているとされる。他方、伝統的な歌舞伎芸能を重視する者たちからは幸四郎より吉右衛門を上に置く向きがある。

人間国宝に先になったのも吉右衛門が先であった。ただし、歌舞伎の人間国宝枠は定数が決められていると噂されており、二人が属する「立役」の枠は4名程度とされる。うち1名以上を必ず上方の役者が占めているため、国宝の枠は限られることとなるが、これに代わって紫綬褒章の受章や日本藝術院会員の枠を与えることで、国宝に認定されていない役者にも栄誉を与えようという向きがあるという説が存在する。

現に、幸四郎は吉右衛門が受章していない紫綬褒章を受章しているし、兄弟は共に日本藝術院会員である。更に言えば幸四郎は文化功労者の認定も受けている。このことからも、二人の芸の性格の違いが多少の評価の上下を受けようとも、二人はトータルで見て切磋琢磨するよきライバルと言えるような役者といえよう。

なお、二人は長らく不仲であるという噂も存在するが、吉右衛門が甥である幸四郎を教えることもあり、必ずしもそういうわけでもない。


十代目(当代)

本名「藤間照薫(ふじまてるまさ)」。九代目松本幸四郎の長男として1973年1月8日に生まれた。母は医師の家に生まれ、現在は実業家として高麗屋一門を裏から支えている。松本紀保は姉、松たか子は妹。1991年に6歳年上の女優・高山典子との間に一女(非嫡出子)。2003年に結婚した藤間園子との間に長男に八代目市川染五郎(2005年3月~)、長女に松田美瑠(2007年2月~)。

1979年に三代目松本金太郎を名乗って初舞台、2年後には祖父が父に幸四郎の名を譲ったことで、早くも七代目染五郎を襲名した。染五郎時代の2012年8月には奈落から転落し重傷を負うが、翌年2月に舞台復帰。2018年1月より前述の通り、父・長男との同時襲名で十代目を襲名した。


父同様、テレビドラマや現代劇への出演にも積極的で、劇団☆新感線とタッグを組んでの様々な舞台や、本人自らもスケート靴を履いてフィギュアスケート選手と共演した舞台劇「氷艶」などの意欲的な作品で知られる。

新作歌舞伎へのチャレンジにも積極的。近年は、家の後継者同士(八代目染五郎と、五代目市川團子)が近い年齢である四代目市川猿之助との共演も多く(実際、四代目猿之助が自身が大名跡・猿之助を襲名するにあたり真っ先に報告したのは当代幸四郎であった。)、毎年八月に「弥次喜多」シリーズを公演している。


2024年公開予定の映画版『鬼平犯科帳』に長谷川平蔵役で出演することが2021年3月12日に発表された。祖父・八代目幸四郎、叔父・二代目吉右衛門の当たり役を当代幸四郎が演じることになる。


関連項目

歌舞伎役者 中村吉右衛門 松本白鸚 市川染五郎 松たか子

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