概要
孔子の教え。文字通り「人が犯した罪は憎むべきだが、その罪を犯した人までは憎んではいけない」と解釈される。
また、「罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには何か事情があったのだろうから、罰は当然与えられるべきであっても、犯した人そのものを憎むのは避けるべきだ」とも捉えられる。
他者への思いやりや配慮、思慮分別、寛容性の大切さを説いているとも評価できる。
これは、決して加害者を許そうという綺麗事というわけではなく、自分たちの平穏な生活を守るために必要な思想である。
「罪」や「罰」に対する問いは、古今東西問わず、古代から現代まで続く永遠のテーマであり、近年でもこうした要素を取り入れたドラマやアニメ、映画などは多く見られる。
主人公陣営が悪役の哀しき過去に同情する、悪役が主人公陣営の仲間になることが許されるなどの展開は、まさにその例のひとつと言える。
そして、悪役に対しての読者の感想もやったことは許されることではないけど過去が悲惨すぎて憎めない、昔だったら絶対こんな行動はとらないのに改心して感慨深いなどの、「罪を憎んで人を憎まず」を体現したかのような感情が発生する。
法律でも、「情状酌量」の考えがある。法的には無罪であっても道義的に許されない悪事が存在するように、逆に偶然や不可抗力による罪も存在するのである。
英語圏でも「Crim(=法律的な罪、犯罪)」と「Sin(=道義・道徳・宗教的な罪)」で区別されている。
真に平和を目指すには、この考え方が不可欠である。相手を憎むということは、相手も自分を憎むことに繋がるわけである。
復讐や憎しみが原因で、人間関係が悪くなったり、対立が深まったり、火種が拡大したりすることも多い。
また、もし相手を攻撃してしまうと、その相手だけでなく、その相手を愛する者たちからも敵意を向けられてしまう場合もある。自分の手に負えない連中や規模を敵に回して、返り討ちに合う可能性も低くない。
人を憎むことは復讐や戦争の原因にもなる。憎しみ合いの負の連鎖による火種の拡大で、本来関係なかったはずの他人をも巻き込んでしまうリスクもあるのである。
世のほとんどの人間は平和な日常を望んでいる。しかし、皮肉なことに、憎しみや攻撃によって自分たちの平穏な日常を自ら破壊している例が多い。
たとえば、中東地域の国家・イスラエルと、同国内の武装勢力ハマス、隣国レバノンのヒズボラ、さらにハマスやヒズボラを支援するイランとの武力衝突がこれに該当する。このことは異教徒とされるイスラエルの宗教的・地理的事情や、1979年のイラン側のイスラム革命による反米化など歴史的な側面もあるが、まさに「罪を憎んで人を憎まず」という考えが欠如していたことから生じたといえよう。
皮肉にも、孔子の故郷である中国においても、幼少期から反日教育をするなど、この考えに反している部分がある。
SNSでは気軽に「復讐」などの書き込みが目立つが、前述の負の連鎖を招く危険性を考えると、安易にそのような書き込みはすべきではないだろう。
また、この教えは「事情さえあれば何をしても許される」「罪を憎んで人を憎まずが出来てないやつは幼稚」という意味ではない。犯した罪によって害を被る他者がいるなら尚更である。(事実、刑罰においても情状酌量の余地があるからといって必ず減刑されるとは限らない)
そもそも、色々な考え方の人間がいるため、この考え方を是としていない者も多い。
人は感情的になると、罪だけではなく人そのものを憎む傾向がある。「罪を憎む」と「人を憎む」の境界は曖昧であり、人によって解釈も異なる。ゆえに、この教えを完璧に実行できているといえる者はほぼいないだろう。
「悪人には何をしてもいいわけではない」という考えを持ち、「もし相手が人を憎むタイプであったなら、相手を反面教師にする」姿勢を持つと心掛けるくらいに留めるべきである。
そして、孔子の教えに甘えて罪を犯さないように生きることが大切である。自分の平穏な生活を守りたいのであれば、この考え方を胸に刻むべきである。
最終的には神のみぞ知る世界(神仏が裁くか裁かないか決める)であり、我々は反面教師として学ぶしかない。
またリーゼント刑事こと秋山博康氏は刑事時代に被害者を救い加害者には被害者に謝罪し、自分の犯した罪を償い更生させており、これは新たな被害者や加害者を生まない為の方法でもある。
近年天皇陛下が誕生日記者会見にて名指しこそは避けるが相手の立場を考えてほしいと述べられ、その上で対等な世界で誰もが安心して暮らせる社会を望むと述べられた。天皇陛下や皇族方は世界平和を好み、ましてや戦争や紛争、憎しみ、テロを大変嫌うものである。
余りにも憎しみや戦争、紛争、テロが酷いと場合によっては天変地異が起きる可能性もあり得る。
関連タグ
戦争…要因は色々とあるので必ずしもそうとは限らないが、罪を憎んで人を憎まずが出来ていないことが原因で起こるケースの戦争も存在する。