アドミラル・グラーフ・シュペーは第二次世界大戦時のドイツ海軍が保有した通商破壊艦「ポケット戦艦」の3番艦。1936年就役、1939年戦没。
艦名は第一次世界大戦のドイツ東洋艦隊司令長官で伯爵(グラーフ)でもあったシュペー提督(アドミラル)に由来する。第一次大戦がはじまると、彼は東洋艦隊を率いて、地球の反対側の本国まで帰還しようとしたが、南米フォークランド諸島沖でイギリス海軍部隊に捕捉され、旗艦(装甲巡洋艦シャルンホルスト)や艦隊と運命を共にした。
就役後の37年5月20日、ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加、日本海軍の「飢えた狼」こと足柄やフランス海軍のダンケルク級などともに各国海軍の注目を浴びる。
本艦は、第二次大戦が始まると、その長い航続距離を生かして、大西洋・インド洋で商船を狩って連合国の経済活動の妨害に貢献した。一方で艦長のハンス・ラングスドルフ大佐は捕虜を丁重に扱うなどの人道的行為で敵国であるイギリス国民とその将兵からも尊敬を集めた。だが、12月6日夜、夜間照明訓練を行ったところを近くの無灯火の船舶に目撃され、1週間後の12月13日にイギリス海軍他の放った捜索部隊の一つ(軽巡洋艦エイジャックスとアキリーズ、重巡洋艦エクゼター)に南米ラプラタ河口沖で捕捉され、エクゼターを戦闘不能に追い込み、軽巡洋艦2隻にも打撃を与えて戦闘には勝利したと言えるものの、自らも燃料供給機構を破壊され、動きが取れなくなり、逃げ込んだ中立国ウルグアイのモンテビデオ港の沖合で自沈に追い込まれた。ラングスドルフ艦長は艦と共に運命を共にしようとしたが彼を慕う部下に力ずくでタグボートに乗せられた。その後乗組員はアルゼンチンに脱出したがラングスドルフ艦長はシュペー自沈の二日後に責任をとって自殺した。
この燃料供給機構とは、皮肉にも、長い航続距離を支えたディーゼルエンジンのための燃料予熱装置であった(設計ミスで燃料パイプが甲板に無装甲で露出していた)。
ヒトラーはこの艦の戦いぶりについて「戦い抜くことをせず自沈した」、「戦艦への期待は幻滅以外のなにものでもなかった」とコメントし、ラングスドルフ艦長の遺族には十分な年金を与えなかった。
ブエノスアイレスで行われたラングスドルフ艦長の葬儀にはシュペー乗組員やドイツの駐在武官の他、ウルグアイで釈放された連合国船舶の乗組員やイギリス軍の軍人も参列した。
現在でもアルゼンチン・ウルグアイには艦を失ったシュペーの元乗組員の何人かがそのまま帰化してひっそりと住んでいる。
創作関連
1957年にラプラタ沖海戦とアドミラル・グラーフ・シュペーの自沈を描いた映画『戦艦シュペー号の最後』が公開された。実際にラプラタ沖海戦に参加した軽巡洋艦アキリーズとエイジャックスがその役で出演している。
ゲーム戦艦少女にシュペーを擬人化したキャラ、斯佩伯爵海军上将が登場する。外部リンク
私はポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー。私を倒すことはできないよ。いい?
擬人化イラスト
三番目のイラスト
その他
関連タグ
シュペー奮闘記(本艦を主役に据えた、ニコニコ動画のシリーズ)