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第一次世界大戦

だいいちじせかいたいせん

20世紀初頭に勃発した世界大戦。
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1914年~1918年、欧州各国・アフリカアジア中東も参戦した戦争で、人類史上初の世界大戦。
などの協商連合側、墺洪などの中央同盟側に分かれた。

背景

20世紀初頭の世界は19世紀から続く欧米列強の帝国主義によって世界各地が植民地となり、列強各国は隣接国を仮想敵国として睨み合いつつ、各国で軍事同盟関係を築いて牽制し合っていた。主に協商連合側と連合側で分かれた。各国は軍備を増強し、総動員体制を練り、水面下での外交交渉で対立国に対抗していた。

とくに懸念されていたのがバルカン問題だった。バルカン半島を支配下にしていたオスマン帝国が衰退したことで、小国の独立が相次ぎ、オーストリア・ハンガリー帝国(墺洪)とロシア帝国が影響下に置こうと接近。多民族のバルカン諸国は両勢力の狭間で揺れ、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほど不安定な情勢となった。

開戦

緊張が高まる中の1914年、ボスニア訪問中のフランツ・フェルディナンド墺洪皇太子夫婦がセルビア民族主義者の学生 ガブリロ・プリンチプに暗殺される「サラエボ事件」が発生。この事態にオーストリアはセルビアに宣戦布告。

ちなみにこの時、墺洪外相ベルヒトルト伯爵は個人的にセルビア嫌いだったため、受け入れ不可能と思われた無理難題の最後通牒を突きつけたが、セルビアが一部を除いて条件を受け入れてしまい、予想外の結果に伯爵は逆上したため宣戦布告となった。

最初は局地戦で済むという観測もあったが、同盟関係の絡みでドイツがオーストリア側に、仏露英等がセルビア側にと次々に参戦を招いてしまい、列強同士の全面戦争へと発展する。

この時、ロシアは参戦時には同じスラブ人のセルビアの援助を名目上の理由としたが、実際には露土戦争における条約締結時のビスマルク独政権の介入に対する復讐を果たしたいのも一つの理由であった。フランスも、同様にかつての普仏戦争に対する復讐として、敗戦後ドイツの支配下に置かれたアルザス・ロレーヌの奪還を狙っていた。また、当時イギリスは、独と植民地政策の進路を巡り、激しい火花を散らしていたのだ。

イタリアは当初同盟側についていたが、途中で同盟を抜けて連合側に回った(当時伊は同じ同盟国側の墺洪帝国と領土問題で対立していた(その地域を「未回収のイタリア(イタリア・イレデンタ)」という)。そのため、同盟国の弱体化を狙った英が、連合国側に寝返ることを条件に、ロンドン秘密条約で、領土問題の解決を手伝うことを約束させ、伊を連合国側に抱き込んだためであった)。

経緯

最初はクリスマスには終わる短期戦と思われ、戦法も騎馬戦大砲、歩兵の突撃などの19世紀のやり方で行くと思われていた。しかし、ドイツがベルギーを侵略し、イギリスが参戦したが、この西部戦線で機関銃の大量使用で防御側有利となり、塹壕戦がはじまり、戦線が膠着したまま大量の犠牲者を積み上げていく結果となった。
戦局打開のため軍用機戦車毒ガスなどの新兵器が続々と登場したが、戦局を打開するどころかさらに犠牲者を増やす結果となり、独仏露などには厭戦気分が充満していく。
さらに爆撃機飛行船などによって戦線から離れた銃後の都市部への攻撃も急増し、非戦闘員の市民にまで多大な被害を生んだ。
欧州から離れた日本日英同盟によりイギリスの救援要請に応じ、連合側に参戦してアジア太平洋方面のドイツ植民地を攻略、当時植民地だった親日国として有名なパラオをその支配から解放し保護したのもこの戦いがきっかけである。大西洋方面にはイギリス支援の特務艦隊を派遣し、地中海に派遣された第二特務艦隊は『地中海の守護神』と呼ばれる活躍を見せた。
イギリスはオスマン帝国を弱体化させるため、ロレンスを通じてアラブ人にオスマン抵抗を煽り、アラブ人独立を約束した。しかし、一方でイギリスは英仏で中東を分割統治しようとしており、さらにユダヤ資本から資金を引き出すために、パレスチナユダヤ人国家を約束し、矛盾した二重外交をしていた。
また同時期にスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが世界規模で流行し、塹壕内の兵士達を苦しめ、戦死者を上回る感染者を生んだ。

ロシア革命によるソ連建国で東部戦線からロシアが離脱。ドイツは西部戦線の戦局打開のため大西洋や地中海で無制限潜水艦作戦を発動し、潜水艦Uボートによる無差別攻撃を実行したが、被害を受けたアメリカの参戦を招いてしまう。そのアメリカは中立を保っていたが、イギリスを支援していた財界が連合側勝利のために参戦を強く支持していた。

最終的にはドイツ革命でドイツ帝国皇帝ウィルヘルム2世が退位に追い込まれたことで独帝国が崩壊。結果的に、同盟側の敗北で終戦。この戦いで多くの君主制国家が消滅してしまった。

1919年にパリ講和会議が開かれ、戦勝国によるヴェルサイユ体制が築かれ、世界の勢力図は変わり、独仏は没落しアメリカが世界の紛争に介入する超大国として台頭。第二次世界大戦やパレスチナ問題の遠因になった。

意義

第一次世界大戦は有史以来初の総力戦であり、かつ空前の規模の大戦であった。そのため本大戦はその後の歴史に重大な影響を及ぼした。

技術の進歩と戦争の大規模化

20世紀初頭は科学技術が著しく成長した時代であり、軍事分野においてもそれは例外ではなかった。代表的なものとしては、機関銃戦車航空機毒ガス・無線通信・窒素固定法(爆薬の大量生産だけでなく、化学肥料による食料の大量生産→人口増大)などがある。
これらの革新によってより効率的に人を殺すことができるようになった。そのため時には一日の戦闘でも万を超える死者を出すなど、これまでとは桁違いの兵員や物資が動員され失われることとなった。

総動員と挙国一致

大規模化した戦争を継続する為に、各国政府は従来の軍事・非軍事分野に関係なく自国の持てる資源を全て動員せざるをえなくなった。この「総動員」は銃後の人々に多大な負担を強いるものであったが、「総動員体制が維持できない」=敗北につながるため、政府は動員の制度を整備すると同時に自国民の士気を高めたり、敵国民の厭戦感情を煽るなどの宣伝工作を盛んに行った。

戦争の長期化

機関銃への対抗策として塹壕戦術が生み出されたこと、総動員によって国家の継戦能力が飛躍的に伸びたこと、世界規模の同盟により自国が倒れても味方陣営の協力が期待できることなどから、第一次世界大戦は当初の予想を裏切る持久戦となった。
総力戦は、名前の響きから両勢力が全ての戦力を投入した決戦とイメージされることもあるが、実際は真逆である。従来の戦争ではどちらかの軍が大損害を負った時点で勝敗がついたが、総力戦は双方に継戦能力が残る限り終わらないチキンレースなのである(国家規模のポトラッチのようなものか?)。そのため第一次世界大戦や後の第二次世界大戦では相手国の継戦能力を削る為に工業地帯や都市など銃後も攻撃の対象となった。

安全保障体制の変化

ナポレオン戦争後のウィーン体制に代表されるように、多数の軍事大国が存在するヨーロッパでは、ある勢力が突出して優位に立つことがないよう相互に牽制しあう勢力均衡による安全保障が基本となっていた。しかし結局勢力均衡の体制は第一次世界大戦を止めることができなかった。
そのため大戦後新たに考えられた安全保障のモデルが、世界的な国家集団を形成しその中で不当に平和を乱す国家を他の構成国が集団で制裁し抑制する集団安全保障である。国際連盟は集団安全保障の考えに基づいて設立されたが、列強の一員であるアメリカの不参加や強制力の不足など安全保障の組織としては不完全であった。

影響

第一次世界大戦はヨーロッパの人々を中心に深刻なトラウマを残した。主戦場となった欧州諸国は国民の生命や資産から、国土に至るまであらゆるものが甚大な損害を受け、その被害は戦勝国ですらその勝利によって賄えるものではなかった。その上敵国への憎悪も長期にわたる戦時下で国民に浸透し増大していた。
そのため戦勝国はドイツら敗戦国に対して報復じみた巨額の賠償金を請求した。中でも大戦で最大の被害を受けたフランスはドイツに対して強硬な態度をとり、経済が混乱するドイツの賠償金支払が遅滞すると、自身も英米の債務に苦しむフランスはベルギーと共にドイツ工業中心地であるルールを占領した。
一方で1930年代に入っても英仏には戦争の恐怖が残っており、ヒトラーの領土拡大に対してはポーランド侵攻に至るまで終始消極的な態度をとり続けた。

敗戦国では敗戦に伴う社会の混乱で従来の秩序が崩壊した。
ドイツでは大戦末期に革命が起こり帝政が崩壊した。しかし戦後も新政府の樹立に加えて戦争被害、賠償金支払によるハイパーインフレーションなど社会は混沌としていた。この混乱と戦勝国の強硬な態度がドイツ国民に遺恨を残した。
またオーストリアでも革命が起こり、15世紀以来ドイツ諸国の長としてヨーロッパの歴史の中心にいたハプスブルク家の帝国も終焉を迎えた。
トルコもまた例外ではなく、トルコよりもオスマン朝の保全を優先する皇帝への反発からトルコ革命が起こり、ムスタファ・ケマルらによってトルコ共和国が成立した。
革命はロシアにも及び、1917年の二月革命皇帝が廃位され、続く十月革命でレーニン率いるボリシェヴィキが武力で権力を奪取し、ソヴィエト連邦が誕生した。

また、ベルサイユ条約で採用された民族自決の概念は列強の植民地支配にも影響を与えた。後発で植民地獲得に出遅れていたアメリカは、これ以上英仏が植民地を増やさないよう敗戦国の領土・植民地について民族自決を提唱した。
戦後独墺露の三帝国が崩壊し、その支配下にあった中東欧諸国は民族自決の原則に則り独立した。アジア・アフリカの独立は実現されなかったものの、もはや公然と新たな植民地を得ることは許されなくなっていた。そのため戦勝国はを「将来的に独立させる為に面倒を見る」という名目で委任統治領として配分した。

日本への影響

第一次世界大戦は日本にも多大な影響を与えた。
大戦中日本は戦場である欧州への物資供給地として輸出が飛躍的に伸びた。これによって日本の工業は成長し、大戦景気を迎えた。
またパリ講和会議の結果、日本はドイツの植民地であった南洋諸島と山東半島の租借権を獲得した。

一方で日本の外交政策は大打撃を受けた。日露戦争後、日本とロシアは朝鮮・満州・モンゴル方面に多大な権益を抱えてたが、そこへ植民地獲得競争の後発であるアメリカが参画を狙っていた。そのため両国は日露協約を結んで同地の権益を独占しようとした。しかしロシア革命によってロシア帝国が崩壊し、協約はご破算になってしまった。その結果日本はアメリカの反発を招いた挙句外交の相手を失ってしまった。

また、総力戦の誕生は日本の国防方針をも揺るがした。駐在武官などを通じて大戦中から既に欧州大戦の研究を進めていた陸軍は、総力戦によって戦争の性質が変化したことを認識すると同時に、その対応に苦慮することとなった。
宇垣軍縮など軍の近代化が図られたものの海軍との兼ね合いで遅々として進まず、その上先述の通り総動員には軍部のみならず行政、産業界、国民全体の改革も必要だった。
総力戦への備えが模索される中、軍部主導による国家改革、中国大陸獲得による資源確保を目指す永田鉄山ら一夕会が台頭し、後の満州事変へ繋がっていった。

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